サッド・ナイン

「うわ泣ける。すっげ泣ける。かーなしーいなーおい。アレだよね。別に悲しくねーけど泣いちゃってそんでだんだん悲しくなるときってあるよねー、とか考えて気を紛らわせてたのに、ダメだ、きたビッグウェーブ、かか悲しい悲し過ぎて、ほんとなんだか悲しくてどんどん涙が出てきて、あれ?何だコレ?涙にしては、甘い。甘ぇよ。んで臭い。甘いのに臭いって、新感覚だわー。あ、しかも色が青い。なんだコレ?……変だな…いつの間にか悲しくない…」

人類は悲しみを物質化することに成功した。


なぜかって?聞かれても困る。ある日気がついたら、悲しい時涙ではなく青色の液体が流れるようになっていた。そういうことになっていたのだ。
理由が必要なら、以下のどれかで納得するか、神秘と寓意に満ちた分子科学のパズルを解いてみればいい。クロスワードパズルよりは長く遊べるだろう。

  • 理由1::神様がようやくメジャーver.upを実装したから
  • 理由2::日本の高名な魔術師・一休師による呪い、『Eye of the Tiger in Pertition』
  • 理由3::夢はいつか必ず叶うし、涙は未来への力になる。そう信じる心に適応進化したので。
  • 理由4::だって、思いついたから。


ともあれ、物質化した悲しみから目糞/まつ毛/ほこり、などを取り除いたものが、汎用甘味料『青色九号』となる。
誤解を招かないために先に断っておくと、地球人類が滅亡した原因が、この『青色九号』である。





フィクションであったなら、『悲しみの結晶によって人類は衰退しました』というのは、なかなか愉快な思いつきと言えるだろう。悲しみが人類に固有のものだとは聞いたことがないので分からないが、人類は悲しみを止める術を発見していなかった。
だから"「生きることは悲しみに満ちている」"と決めておくのは、人類を工学的に扱うために有用だったんだろう。
『青色九号』を用いた食物は胸がいっぱいになるような満腹感をもたらし、また気化した『青色九号』の燃焼効率は高く、大気への影響が「どことなくアンニュイな気分」になるに過ぎなかったため、人類の食糧・エネルギー問題は、一挙に解決した。
"「生きることは悲しみに満ちている」"ならば、"「悲しんでいれば生きていける」"ようになればいい。
進化が"利己的"かものならば、そうなってしまうこともあるんだろう。
そうして、人類は発展する。
何の不安もなく、青い涙を流しているだけで。


『青色九号』は金に代わって、通貨を保証する資本となった。
それまでの文明と『青色九号』に基づく文明は、本来相容れないものだっ(端末のメモリ容量不足のため、表示できません)


エンターテイメント産業は基幹産業となり、効率よく悲しませるための手法が工業化された。
そのことを悲しむ者もまた、『青色九号』の生産に貢献した。怒り/恐れ/妬みといった感情は"悲しみの未分化な状態"と見做され、楽しみ/喜び/笑いは大きな悲しみの前兆として働いた。
悲しみ以外の感情から流れる『青色九号』は、その純度が加工に適(端末のメモリ容量不足のため、表示できません)


『青色九号』排出量の個人差は、明確に差別の要因になった。悲しむことに恥じらいを持つ一部の人類を『禁治産者』とする空気が生まれた。
しかし、キメラ化した文明は差別を表面化しない。『禁治産者』を養うに充分な余裕があるのだった。悲しみの疲れを癒す娯楽として許容された。『禁治産者』本人の思いがどうであれ。
悲しむことができない『禁治産者』を、悲しむことのできる人類は理解しない。『禁治産者』はマイノリティだった。そして、マイノリティの違和感はフィクションにうってつけだ。『禁治産者』の悲しめなさは、小説となり、映画となり、歌となり、数多の人類を悲しませた。そして『禁治産者』自身も、「我々は悲しんでいるのだ」と規定することに慣れ(端末のメモリ容量不足のため、表示できません)


変化が始まっていた。
教育過程に挫折と喪失が計画された。母は子供を無視し、父は子供を叱る。教師は出席番号順にイジメを行う。やがて子供たちは、泣き叫んで自己主張したときのみ、可愛がられることに気づく。子供たちはわがままな王様になっていく。やまない雨がないように、悲しんだあとは必ず望みが叶う。その条件が繰り返し刷り込まれる。
挫折と喪失は周到に準備される。
子供達の未来に(端末のメモリ容量不足のため、表示できません)


あらかじめ予定された挫折と喪失を経て、子供たちは大人になる。
"『今この瞬間の感情に素直になること』『その感情が未来には失われ、思い出になること』『過去の思い出に感情移入すること』"を学んで。


子供たちは『青色九号』の優秀な生産者であったので、世界的に多産が進行した。食糧資源には問題がなかったが、空間が不足し始めた。
一方、労働によって自己実現を図る人類は一定数いた。その数はただ社会を安定させるよりは少しだけ多く、発展すべきフロンティアが求められていた。
学術的好奇心は採算を度外視して突き詰めることが可能となった。しかし近い将来に、鉱物資源が不足していくことが予想されていた。


多くの要因が交差して、宇宙進出の実現が人類共通の夢となった。まもなく夢は現実となった。『青色九号』の燃費と扱い易さは、宇宙航行に理想的だった。充分な人員が『青色九号』を補給し続ければ、恒星系間の移動も可能という試算が出た。その下準備として、火星軌道上での資源採集ステーション『SAD-9』が計画された。まず中継補給基地が月面(端末のメモリ容量不足のため、表示できません)


人類の夢が叶い、人類の衰退が始まる。


『青色九号』の生産量がわずかづつ減少を始める。当初は宇宙開発事業による消費の拡大が原因かと思われたが、調査の結果、もっと以前から減少傾向が続いていたことが判った。


何が原因だったのか?
結論から言おう。もうこれ以上、悲しむことがなかったのだ。
『青色九号』に支えられた社会は、人に優しい社会だった。満ち足りていた、と言い換えてもいい。そこには欲望が希薄だった。欲望という通貨がなくても、『青色九号』があった。
「欲望を禁じられることで悲劇が生まれる」、という"物語"が、『青色九号』以降の世代にはピンと来ないのだった。
「"生理的嫌悪感"と"嬉びも悲しみもないことへの喪失感"が、悲しみの中心にある」と兼業アルファ哲学者(普段は自宅警備員を営む)は自身のblogに記したが、もしその言葉に幾許かの正しさを認めるならば、その種の悲しみは長続きせず、いつのまにか忘れてしまうもので、『青色九号』を安定供給するには足りなかった。


『青色九号』資本下における"悲しみのインフレ"という事態は、挫折と喪失の格好の舞台として未だ残っていた、企業体および政府機関に動揺をもたらした。その頃、民間では「幸福の不法投棄」がブームとなった。何者にも変えがたい大切なものを捨てることは、すばらしい行為とされていた。美徳が強制となり、政治に組み込まれる(端末のメモリ容量不足のため、表示できません)


悲しむために、人類は夢を諦めることにした。
『SAD-9』はその乗員も含めて地球から放棄された。


夜空は悲しみの象徴になった。
夜空を見上げるたびに、夜の色によく似た蒼黒の涙を流した。


もちろん、そんなことでは『青色九号』は足りなかった。






その後の戦争の世紀についてはよく分かっていない。
大規模な"青色核爆発"が数回、『SAD-9』から観測できた。以降、地球での人類の活動と思える観測結果は得られていない。


『SAD-9』に残された人々は、今もそこで暮らしている。
地球に帰ることはできない。星間航行手段を奪われており、燃料も十分ではない。それに、地球が生存に耐えうる環境を保っているとは限らない。


いや、それらは全て言い訳なのだった。
「地球を失った」という喪失感。頼りない宇宙で一人ぼっちであることの孤独。そして、どこにももう行き場所がない不安。
それらが引き起こす悲しみは、『SAD-9』に莫大な『青色九号』をもたらしている。
人類はもう、それを手放すことができないのだった。


『SAD-9』の人類は、宇宙にぷかぷか浮かびながら、めそめそ泣いて、今日も生きている。


「変な小説。SFっぽい。よくわかんねーなこういうの。もっとリアルで泣ける話がよかったなー。他ないかな他。あ、やっべ。ケータイの充電切れそう。暇潰せないじゃーん。あーあ。つまんねーの。我に返っちゃうとマジへこむから嫌なんだよ。何してんだろ俺。あーあ。や。いや。でも、がんばんねーと。がんばんねーと絶対。いつか今がいい思い出だって思えるように。なぁ。悲しいこともあったけど、幸せだったよ。って。思い出ってそういうもんだし。うん。がんばろう。あれ?俺ちょっと泣きそう?あーアクビでそうだったんだアクビ。それで…、ん?あれ?この涙、……青くね?」