教室

帰りの会の気怠い静寂は、しなやかに直立した腕と水面を打つような声で破られたのだった。
「先生、言わなくてはいけないことがあります」
「あらあら。どうしたの?」
女教師は小首をかしげ、挙手した生徒を見た。
彼の瞳がぎょろりと動く。引き摺られるように彼以外の生徒、また女教師の視線が集まった。そこには生徒が一人。
「太郎くんがクラスメートの座席をカメラで撮影しようとしました」
名指された生徒はびくりと震えた。
あらあら、と傾けた首を反対に倒し、女教師は眉を寄せる。
「学校にカメラを持ってきてはいけないでしょう、太郎くん」
「先生違います!」
正義感とリンパ腺が浮き出た生徒が立ち上がった。
「太郎くんは頼まれてやっただけで、悪くありません!」
沈黙が教室を支配する。気まずさをわずかに含んだ視線が交錯した。
声を張り上げる生徒だけは気づいていない。
「…頼んだのは、コイツです!」
教室の最前列に座る生徒に指が向けられる。
名指された生徒は、ただ、じっと俯いていた。
「ええと、先生ちょっとよく分からないんだけど、太郎くん…」
「確かに。そのとおりッスね」
新聞委員の生徒が髪を撫でた。
「太郎くんたちが交換日記で語ってる計画、学級新聞に掲載してるッス」
「学級新聞にそんなのが……?」
女教師は学級新聞を読んでいなかった。
「ちょっと待てよ」
眼鏡をかけた生徒が声を荒げる。
「そりゃ確かに『脅しちまおう』ってのは書いてたよ。本当だよ。でもそりゃ、仲間内で冗談で話してただけだろ」
「その発言は」
最初に発言した生徒が唇だけで笑った。教室のあちらこちらで同じ笑いがさざめいた。
「君や太郎くんを不利にすると分かっていってるのかい?」
「んだとてめぇ!」
いきりたつ眼鏡の生徒を、ヘッドフォンをした生徒がいさめる。
「落ち着けよ。なぁ、学級委員会てのはちとやり過ぎじゃねえか?誰が得するんだよ」
「センセイにお伝えして釘さしといたほうが、復讐とかならなくていいんじゃないスか?」
唐突に話が自分の方を向き、女教師は身震いした。
戸惑いつつ、当初糾弾された生徒に話しかける。
「ね、ねえ、太郎くんは、そもそも誰の写真を撮ったの?」
「撮影された人は、今日休んでます」
ヘッドフォンの生徒の声と共に、教室の、空白の席を、誰もが見た。
「怯えてるんスよ。本人同士で話はついてても、クラスメートの写真をどうするつもりだったんだか」
眼を逸らしながら、新聞委員の生徒が吐き捨てた。
「だから冗談だっつってんじゃねえか!」
眼鏡の生徒が眼鏡を叩き割りながら叫んだ。
制しながらヘッドフォンの男が制しながら、呟いた。
「話しついてるって、本人たちは納得してないみたいじゃないか」
みしゃりと、骨の鳴るような男に、生徒たちは振り返る。最前列の男を。
最前列の男は鉛筆を噛み折っていた。
「殺してやる…」
いつのまにか座っていた、正義感とリンパ腺を膨らませた生徒が再び立ち上がる。
「アイツ、頭おかしいよ!!」
あーあ、と最初に発言した生徒がかぶりを振った。
「約束、破ってしまったねぇ。センセイ、こんなこと言ってますよ」
「ハイせんせー」
愛らしい声で、学級委員長が手を挙げた。
「ほんとうにそんなじけんあったんですかぁ?」
今更何を…、という空気と委員長の愛らしさに場が和んだ。
自覚を取り戻した女教師が、努めて明るく言った。
「みんな、そんな鬼の首をとったみたいに騒がなくてもいいんじゃないかしら?」


教室のすべての生徒が、すべての太郎たちが、一斉に、女教師を見た。
軽蔑すら篭らない眼。眼。眼。
だって彼らは、鬼の首をとるために、桃から生まれたのだ。








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46話目くらいでしょうか?
この話はフィクションです。ですったら。火種その他といっしょに、握力さんに捧げます。