腐る思考
あまりできそこないのアイディアを放置しておくわけにもいくまい。
いずれか未来に挑むことにして、違った切り口で落とし込んでおくとしよう。世に言うバックトゥザフューチャーとはこのことである。今出来損なうことが、未来に孵化する余地を残す。
時間と思考を遡っていくブログというのは、きっとよいものだろう。
森見登美彦「太陽の塔」読む。
記憶は並ばず、現実は乱れ、自意識のもぐら叩きを叩くのは誰か。1つのエントリでは辿り着けぬ境地を見せられた。ついに小説がblogに牙を剥いたか。そんな争いなどない。森見先生もはてなダイアラーではないか。誰かが戦っていると思わば、しかし、それは争いなのだ。あの鐘を鳴らす輩を撃ち殺せ。鐘は鳴り止まないが、引き金は引かれた。チキバンバン。
「なぜブロ」問答に応えよう。
己のblogを放り出したい。そのために「書きたさ」と「見せたさ」を摩り替える。キーワードでつながるおもしろblogならば、Lに追いつく。Lを越せる。(Lはなんでもよい。可能性は誤読するものに無限に開かれる)
創作衝動。オリジナリティ。そういうのいいや。同人誌を印刷し、文学フリマでヤギに食わせろ。
倒錯だ!盗作だ!頭裂だ!
すなわち羞恥プレイ。しかるのち放置プレイ。
blogには何を書いてもいい自由がある。同時に読んでどう思われてもコメントされてもブックマークされてもよい自由もある。
「こんなにエゴサーチがhitするなんて、オラワクワクしてきたぞ」
以上で言い訳を終わる。えー、何か質問はありますか?
「よくわかんないですけど。それって言い訳なの?」
耳をふさぐ自由。