古川日出男と京極夏彦の、感情の揺さぶりかたの相違

ひどく雑に、与太話を。


古川日出男さんの「沈黙/アビシニアン」を読んで、
http://d.hatena.ne.jp/sfll/20050803#p2
のようなことを考える。
まとめると、

古川日出男は、小説のプロットを「その場面で主観を持っている人物が受けた感覚、およびその感覚を与えた行動・外部刺激」というもので組み立てているんじゃないか?
その組み立て方は、ほかの小説家にも用いられているのか、どうなのか?

ってなことでした。
思いつきを確かめるために、京極夏彦さんの小説を読んでみた。チョイスの理由は勘な。あと、「ウブメの夏」のプロットがそれっぽかったから。


で、結論。
どうも違ったくさい。
違うんかい!なんじゃそりゃ!ってなもんですが、それはそれとして、古川日出男京極夏彦には、「言葉で感覚を揺さぶる」という共通点と相違点(手法とか、なんかテーマとか)を発見できたような気がするので、それをまとめてみよう。
と思ったんだけど、今日は時間がないので、またにします。
待て次回!