調子に乗って、町田康。プラス補足
やたらと町田康っぽく書こうとしてしまったことをお詫びします。
誰にかはちょっと分からない。
や、なんか口語調って、こう、論を展開するのにいいね。ミュージックマガジンかなんかの歌詞考が面白かった。
補足。
しかし、上記のようなことを想定し、その結果心の底から初期パンクあるいはニューウェーブのような精神で世の中を「くそったれ」と思い、その上で自分の姿を客観的に見て「くそったれ」と思っている、という形の絶望の有様のことを書き漏らしているかなぁ、と思った。
僕もそっちに近い。
その状態は諦めてしまう一歩前である、ともいえるけど、そうは考えたくなくて、ちょっと別な風に考えた。
例えば日本のニューウェーブバンドなんかは、その前世代の闘争などを見て、「そんなん空しいぜ どうにもならないさ でもそうゆうのっていいじゃんいいじゃん」とか屈託なく歌ってしまう、と意味を歴史に配置するとそういうことなのだと思う。
そして、現代の10代後半から20代には、私は既に反抗をし敗北した、という意識がかなり子供の頃からあって、その結果が初期パンク的自意識になっているのではないか?と思う。漠然と。それがどこから由来したものか、とか聞かれても分からないんだが。
だから、10代20代にとって、尾崎は「いまさら」と感じるんじゃないか。敗北を思い出すだけだから。屈託なく笑い飛ばすには、しっかりと敗北したことを感じているから。
逆説的にそれは、敗北を忘れさせてくれる、がんばれ負けるな歌謡曲(適当な命名だけど、まあいわゆるJ-POP)を愛好する理由にもなっている、かも。
まったくの印象だけど、そのように、思う。