赤塚不二男 『タモリ、それでいいのか?』感想 後編

「ねえ、タモリ。それでいいのか?」
「……」
「それでいいのか?」
「……マア、アリッチャアリダ」

赤塚不二男『タモリ、それでいいのか?』

感想から逸脱して、ほとんどあらすじになってしまうのをお許し願いたい。この物語は多くの人に伝わりたいと願っていて、読者の一人にすぎない私もその願いが叶うよう祈ってしまうのを止めることができないのだ。

いつの時代もそうであったように、異端と正統は対峙を孕んでいる。情報と経済のリンクが、リンクする規模、あるいはリンクする速度が、飛躍的に増大した二十世紀に、対峙の構図は繰り返しよりミクロな対峙を孕む。双生児のマトリョーシカ。あるいはまるで、二十世紀に論述された数学でもっとも自然に近似したフラクタル構造を、更にまた近似したかのように、世間一般に対して異端であるアウトサイダーも、異端のうちの正統と異端のうちの異端に分かたれ、対峙している。地球をまるごと視界に収められるほど、人類は地球の引力に逆らう方法を手に入れている。
二十世紀の対峙のもっともマクロな形は二度の世界大戦として、そして二つの社会制度の宇宙開発競争として歴史に刻まれ、そして、歴史に残らないよりミクロな領域で、昼のタモリと夜のタモリの対峙が、ある。


つまり、評価が偏在している。タモリの、その受容が偏在している。民主主義が、民主主義というレフェリーによる共産主義への10カウントを聞いている時、タモリは需要によって受容が生まれている。ヒエラルキーが生まれている。テクノロジーとメディアによって、タモリは供給される。需要に従って供給され、需要に従って受容される。
かつては歴史に名を刻まれることのなかったタモリが、タモリ自身の歴史を持ち始める。
マスメディアを賑わせるアウトサイダーだったタモリがポピュラーなものとして、マスメディアそのものに成り代わった。本流。これが昼のタモリだ。
マスメディアに存在を気づかれることなく、ただ求める者にとっては唯一無二のオリジナルとして居座ったタモリもいた。傍流。これが夜のタモリだ。
昼のタモリと夜のタモリは固定された呼称ではなく、その時、その場所での勝者が昼のタモリと呼ばれた。そして彼らは、争い続けた。
二十世紀は、いわば戦争の世紀だった。そして、同時に、タモリの世紀でもあったのだ。


そんな二十世紀に、赤塚不二男が、いる。赤塚不二男は、多くの、昼のタモリを目指す夜のタモリの一人として、いる。
一度は昼のタモリになり、しかし形骸化し、ほとんど忘れ去られて、それでもタモリとして、そこにいる。自らの形骸となった過去と、自ら作り出し本流となったタモリの歴史に対するアウトサイダーとして、年老いてなお争い続けている。


そして、タモリがいる。
タモリの申し子として、タモリという代名詞の第一人者として、タモリが、いる。
タモリは、赤塚がかつて昼のタモリだった頃、見出された。
生粋のアウトサイダーであり、昼のタモリである赤塚が、自らでは満たすことのできない飢え。マスメディアには乗せられないが、表現者として、求めてやまない「なんだかよく分からないがおもしろい」ことを表現するために、タモリは見出された。


タモリは赤塚を越えた。
赤塚を上回る昼のタモリとしてお茶の間の顔となり、同時に夜のタモリとしてタモリ倶楽部を組織した。
昼と夜、合い争う双生児の王として、タモリは君臨した。
そんなタモリを赤塚は受け入れられなかった。マスメディアであり、アウトサイダーであるという矛盾を目指し、引き裂かれた先達として、赤塚は尋ねる。「タモリ、それでいいのか?」
赤塚を、サングラス越しに、タモリは見た。窺い知れない表情は、しかし、確かに、笑っているように、赤塚には見えた。タモリが応えた。「マア、アリッチャアリダ」


すべてのタモリの争いは、その対峙は、次なる対峙に代わって、矛盾を孕むようになる。
矛盾もまた双生児だ。二人の胎児は、主観評価と客観評価、と名づけられる。かつて、そのような双子は、期待と落胆と呼ばれていた。双子が手を取り合って仲良く育てば、いつか願望と希望と呼ばれる日が来るかもしれない。双子は時に喧嘩もするだろう。しかしいつか、一つになって何かを成し遂げるかもしれない。もちろん呼び名は単なる呼称で、それ以上の意味も如何なる意思も未だこの世に現れていない。タモリタモリを知るときに、想像上か想像以上かは判明するだろう。産めよ増やせよ地に満ちよ。タモリはぽこぽこ増えていく。ほんの少しの勇気をだせば、ほんのちょっぴり絶望すれば、あなたいつでもアウトサイダー。しかしそれもまた次の世紀の話であり、ここにはまだ記されていない。


二十一世紀の初め、赤塚不二男が生涯を終える。
その葬儀において、タモリが、赤塚の弔辞を読む。


この日が、二十世紀最後の日となる。
タモリは二十世紀と共に生きた。そして、まだ生きている。