Folklore Producting Machine!!!! 『雲を掴んでしまった男』

龍頭


ある、海辺の村に二人の男が住んでいた。
三十を過ぎたばかりの眼窩深き男で、理知鋭く博学に秀でるも、己に負うところ厚く人と交わろうとしない男だった。数年前、役人の命で灯台を建てることになった折に人夫として雇われた。灯台が完成した後、なり手のいなかった灯台守の職に勧んで名乗りを上げ、そこに住みついた。雑穀などを買いに出る他は、海を睨んで暮らしていた。よそものを口さがなく噂する声を聞かずに済む程には、灯台は高かった。
もう一人は年のころまもなく二十といった、優しげな目の若者であった。応情に富み、蛍雪の夜も空気を読むこと絶やさず、村人によく好かれる男だった。
若者は、灯台のある岬近くでよく釣りをした。心根の優しい若者は、村人から悩み――その実は悩みともつかぬような愚痴を、持ちかけられることがよくあった。若者は笑みながら頷き、時に促し、時に問いながら、相手の気のすむまで話を聞く。どんな話も否定をしない若者に、村人たちは心を預けた。若者にとっても、心を許されるのは嬉しいことだった。しかし、ふとした時に若者は言いようのない淋しさを覚えることがあった。空を見上げたときのような。
そんなときは、たいした魚も釣れず、村人のあまり来ない岬で一人、釣り糸を垂らした。漠然と、このままここで死んでいくのだ。と考えた。しかし、考えを言葉にする術を知らなかった。


若者が釣りをする場所から離れたところで、眼窩深き男も時折釣りをした。男は若者に話しかけなかったので、若者も黙っていたが、ある日若者のほうから声をかけた。


「釣れますか?」
「いや。一度も釣れたことがない」
「はて。魚篭には魚があるようですが……」
「魚を釣っているのではない。百年を釣っているのだ」
「百年…?というとあれですかい。百年生きる亀でも釣っているんで?」
「そうではない。比喩だ」


男はその鋭き眼を、若者に胡乱そうに向ける。
「百年経ても褪せぬような物語を釣っているのだ」

何を言っているのかさっぱり分からなかったので、若者はとりあえず頷いた。そうして改めて考えて、「言葉の意味はよくわからんが、なんだかひどく羨ましいものだ」と思った。




二人はしばしば言葉を交わすようになった。

眼窩深き男は、"ものかき"をしている、と語った。
話や邪なるものを招く眼を抱えながらも、善き人たろうとする男の話。
森羅万象あらゆるに対してこれを許さぬとする娘の話。
神々にも似た異形の女たちと契りを結び、偏見からくる迫害から家族を守らんとする子供の話。
そのようなありえぬ"こと"を、ありうべく"もの"にする。それが"ものかき"の仕事である、という。


「なんだかわからぬ、という顔をしているな。そうだな、お主のその"なんだかわからぬ"という気持ちを誰かに語るとしよう。しかるにただ"なんだかわからぬ"と言っても、それは伝わらない。お主が"わからぬ"ということは伝わっても、"どうわからぬ"のか、"何故わからぬ"のか、というのは、"なんだかわからぬ"という言葉では語れない。どこにもない"こと"なのだ。それでも、気持ちを伝えようと欲するなら、<この気持ちはあれに似ている>、<例えばこうしたときに抱く気持ちに近い>、<これなる者がこのようなしきたりに則っているのであるが、その場合は気持ちもこのように変わるであろう>などと、喩えにしたほうが伝わり易い。いや、喩えでなくては、伝わらない"こと"だってあるだろう。喩えは、此方には存在しない虚ろな"こと"だが、言葉によって現れる"もの"だ。"もの"を語る言葉、すなわち、物語、となるわけだ」


若者には、眼窩深き男の話は曖昧に過ぎてうまく分からなかった。しかし、若者には曖昧にしか思えぬ考えだが、男にとってはしっかりした確かなものなのだな、と話し振りから思われた。男はまるで、空を流れる雲をその手に掴んでいるようで――――若者は、「ああ俺もこんな風になりたいな」と思う。「この人のような言葉を使いこなすことに、俺は憧れている。そうしたら、村の衆にもっと俺の考えていることを伝えられるかもしれない。……そうなると俺は、これまでのようにうんうんとただ頷いている俺ではありえず、もしかしたら疎まれることになってしまうのではないか。こんな言葉は、村で使われている言葉とはあまりにも違う。実際、俺だって、この人が何を言っているのか半分も分からない。ああ、だが、それでもこれまでより、ましだ。ずっと、ましだ。うまく言えない気持ちを抱えて一人でいるくらいならば、俺は言葉が欲しい言葉が欲しい言葉が欲しい、のであるから」


こうした考えを若者はうまく言うことができなかったので、頷いてこう言った。「格好いいですねえ」
眼窩深き男は若者を見て、笑った。まったくおもしろくなさそうに、息だけで笑った。そして興味を失ったかのように、目を海に戻した。




若者は男から書を借り、物語を読んだ。物語によって考えの語り方を覚え、考え方を変えられ、時にはわからなかったことがもっとわからなくなった。若者は物語への感想を、少しずつ男に語った。男は相変わらず、おもしろくなさそうに海を眺めてそれを聞いた。若者がなんとか話し終えると、その視点を覆すような形での感想を男は語った。その度若者は、男の見識に感心するのだった。
しかし村の人々と話すときの若者は、これまでと変わらぬ態度で聞き役に徹した。物語によって多くの考え方を知るほどに、何か意見を述べることをしなくなっていった。村の人々は「若者はなんとなく冷たくなったな」と感じたが、聞き上手に変わりはなかったので、これまで通りに相談を持ちかけた。
一人になって考えごとをやめたとき、若者はなんとも言いようのない寂しさを感じるようになった。その寂しさは、様々な言葉を知っているのに、どれも違うと感じた。そんな気分の時は、雲ひとつ無い空に白い残月が浮かんでいて、身震いした若者は書を手にとり物語に没頭するのだった。




若者がそろそろ家督を譲り受けようかという春の日に、眼窩深き男の姿が消えた。
理由の如何の前に、灯台守がいなくなっては番所咎められる、と騒ぎになった。若者が次の灯台守を名乗り出、受け入れられた。若者の両親は反対したが、筋道と誠意を込めて説き伏せられると、遂に両親も認め、年の離れた弟に家督を譲ると、若者は灯台に住むことになった。

その年、村はひどい凶作に襲われた。懸命に働いてなんとか凶作を乗り切ろうとし、村の人々は若者のことを徐々に忘れていった。若者の家族も忙しさに追われ、短い便りが届くと「ああ無事でやってるのだな」と思うのみで、それ以上気にかけなかった。
時折「あいつはどうしてるだろう」と話に上ると、「村はずれの岬で夜釣りをしているのを見た」「嵐の晩、灯台の明かりを修理していたそうだ」「浜辺で亀に話しかけていたらしい」といった噂が流れた。




冬を越え春になろうかという頃、若者の父親が灯台を訪れた。
数日おきに通っていた飛脚が足を痛めており、冬の間若者からの便りが途絶えていた。顔をあわせるのはほぼ1年ぶりになる。灯台に着くと、白髪の老人が座して居た。父親は尋ねた。


「私の息子がここで灯台守をしているのですが、どこにいるかご存知ありませんか?」
「信じられないかもしれないが、あなたの息子は私です」


と老人が言うので、父親は驚いた。白髪の老人は、己より年上にしか見えなかったからだ。
しかし、よくよく話を聞いてみると、息子本人でなければ知らないようなことをすらすらと応えた。


「もしや…お前なのか。いったいどうして、そんな姿になっちまったんだ」
「…………開けてはならない箱を開けて、雲を掴んでしまったのです」
「お前はいったい何をいっているんだ」


父親は訳がわからなかったが、仕方なしに老人を連れて村に戻った。老人の自分が灯台守の若者であるという主張は受け入れられたものの、しかし老人の姿になってしまった理由となると、用を得ない説明をするのみであった。村の人々は大層気味悪がったが、面白半分に「海の神の罰を受けたのだ」「魔物の女に精気を吸い取られたのだ」などと噂した。結局老人は灯台守の仕事に戻り、それを死ぬまで続けた。




灯台守の若者の年の離れた弟は、少し年長の村の子供衆が亀をいじめているのを見つけた。弟は、そんなことをしてはいけないと諭した。亀はいじめられなくなり、代わりに弟がいじめられた。


蛇尾

〜書簡〜


「お母さん、就職しました。今度は公務員関係の仕事です。住み込みで働くことになります。これまで心配かけましたが、ちゃんとしていこうと思っています」

「お母さん、初任給が出たので何か贈ろうと思ったのですが、特に思いつかないので現金送ります。私は元気です」

「お母さん、仕事は順調です。元気でやってます。心配しないでください」

「お母さん、友達はいますよ。村の若者と一緒に釣りをして仲良くしています。心配しないでください」

「お母さん、お元気ですか?ちょっと必要になったので、お金を送ってください」

「お母さん、前に送った手紙は届いていなかったでしょうか?お金を送ってください」

「お母さん、お金を送ってください。使い道は、友達と新しい釣竿を買うためです」

「お母さん、お金を送ってください。いろいろ大変なんだからこっちは」

「お金を送ってください」

「お金を送ってください」

「お金を送ってください」

〜日記〜

「今日から日記をつけることにした。文章の修行のためにつけたほうがいいと、師匠に言われたからだ。どこまで続くか分からないが、がんばってみようと思う」

「仕事の後、灯台へ。また師匠に本を借り、お酒をご馳走になる。師匠はたくさんの本を持っているし、贅沢な暮らしをしている。村で見たことのないようなものは通販で買っているらしい。給料だけではとても足りないだろう。謙遜されて言わないだけで、やはり高名な作家なのではないだろうか。いつか師匠の書いた物語を読みたいものだ」

「ああ私は罪深い。師匠の郵便を盗み見てしまった。物語を送っているのではないかと思ったのだ。今後二度とそんなことはしない、と誓おう」

「今日の郵便も母に金の無心をしているだけだった。生々しい現実など見たくなかった。もうあの人を信じられない」

「殺してしまった。何を言っているかわからないと思うが、私にもよくわからない。ああ」

「死体は埋めた。この場所に誰にも近づけてはいけない。人との交わりを絶たなければ」

「鏡を見て驚いた。肌は老いて髪は白く、まるで老人のようだ。これが罪の意識だろうか。夜になるとあいつがどこかで見ているような気がする。泣きながら階段を下る足音が聞こえる。馬鹿らしい。ただの海鳴りだろ。気が狂いそうだ。こんなものは物語の中だけでよかった」

「郵便屋がこない。村で何かあったの?」

「何もかもが現実ではなくなって、遠のいていくようだ。ここから出ていきたい動くのやだ誰かたすけてさみしいさみしいさみしい」

「あらゆるものが雲で出来ていて、それを掴んで確かめているようなものだ。はは。あーもう全部どうでもいい」

「なにも書くことがない。生きている。それでおしまい」

蛇足

参考リンクを挙げます。

http://neo.g.hatena.ne.jp/./nitino/20080107/1199709697
http://neo.g.hatena.ne.jp/./objectO/20080107/p1
http://neo.g.hatena.ne.jp/nitino/20080108/1199782614

はてなモストデンジャラス・コンビのお二方に刺激されました。


http://d.hatena.ne.jp/./setofuumi/20080227#p1
https://neo.g.hatena.ne.jp/./extramegane/20080310/1205127502

あと、こちらも読みましたが、だからどうした、と言われるとちょっとよくわかりません。