肉骨粉オリエンテッド

bloggerなんぞやっておりますとこう、ひとつの文章がこんなに違う読まれ方をするのか、と驚くことが多いわけです。ここで話は青空まで飛びます飛びます音速で。


少女漫画的日常 - 読者論まとめ


ぃ意訳しますとぉ(ヨコハマヨコスカ口調で)、言葉をいじくりまわすのにどうかしちゃってる(知性的な意味で)批評家のみなさんにおいても、「想定筆者の意図」から「想定読者のリテラシー」へと批評のお相手が移っているとのこと。非常に腑に落ちました。んがここで五臓六腑総もたれずどーん。『生涯一読者にて 身はメタに立ち。 ベタの掌より 飛び降りても飛び降りても、青い山』の句に詠まれるところのbloggerの立つ瀬がない。句?
噛み砕いてよだれをまぶしますと、あるエントリAに対しての「想定読者のリテラシー」を問うblogが「想定筆者の意図」ばかり勘ぐられるのは何故?と思って、夜毎水行で祈る私です。中の人などいない!中の人などいない!

さらに消化しやすく胃腸に流し込みます。いわゆる反芻。こ、こんなにしてあげたんだから、飲み込んでよねっ!図に示します。

古代

  • 「ある文章A」
    • 「Aに対する反応 B,C,D……」 多くの言葉は、この段階で「なるほど」「かっこいい」「バカバカ」と言わないために生まれました。その脊髄に大きく敬礼!
    • 「Aの解説 Z =想定筆者の意図をつまびらかにする」 旧来のメタ。文章には必ず意味が込められている、という信仰の影響が色濃い。こちらからのみ筆者が見えていることから生じるアドバンテージで、最後まで生き残る。

近代

  • 「ある文章A」
    • 「Aに対する反応 B,C,D……」
      • 「Aに対する反応のまとめ α =想定読者のリテラシーを分類」明らかにニュータイプのメタ。筆者・読者の区別なく、文章を見て考える、という習性を利用したトラップ。ゆとり世代には効かないかと思われたが、今のところ存外効果がある。

現代

  • 「ある文章A」
    • 「Aに対する反応 B,C,D……」
      • 「Aに対する反応のまとめ α」
        • 「αが書かれた理由を勘ぐる Ω =想定筆者の意図への逆襲」人類総blogger時代における、メタ殺しの一手。筆者・読者・メタ者を同じ土俵に引きずり降ろしバトルロワイヤルへ持ち込むを狙う。勝ったもん勝ちルールであるため、自己申告による勝者が地に満ちる。


私の意図、伝わりましたか?


いい加減長い話のあとに参考リンクをあげるのはささやかな嫌がらせです。性病の文章なんて読んでる暇があったら、死ね。


http://d.hatena.ne.jp/./crow_henmi/20070405#1175800437




***((((このエントリのエントリ内まとめ―――想定筆者の意図はblogをより楽しむために使うものだが、使い方によっては凶器にもなる)エントリ内まとめエントリのまとめ―――想定読者の意図は凶器)エントリ内まとめエントリのまとめエントリから見る未来予想図―――凶器がうまいbloggerこそ生き残る)エントリ内まとめエントリのまとめエントリから見る未来予想図への予言―――bloggerは生き残って、孤独を目指す)***


ではここで、「想定筆者の意図」とかけて「上から読んでも下から読んでもコンテクスト」と解きます。その心は?心なんて飾りです。偉いnaoyaにはそれがわからんのです。bloggerがblogで勝ちにいくならば、己のblogをコンテクストの源泉にするが王道です。10userは、10のまともに読んでバカを見たidを表します。世界がもし100人のマザーテレサだったら、誰も救いたいという欲求を満たせません。1000の小説でバックベアードがすごくオッキくなっちゃう……。10000の非言及を越えて、初めて己がエントリと向かいあう。人生とblogのどちらがもっと負けられるか絶賛チキンラン中の性病かて、勝ちたい夜があるんです。より大きく負けるために一度勝たなくてはいけませんからね。助走としてのblog勝ち。明日非モテんとするものは、今日告白しフラれるべし。孤独と勝利は歩いてはきません。だから人はメタを目指すのです。


しかし、勝てるメタblogにうってつけの、独創的かつ普遍的な「想定筆者の意図」などそうそうエントリにできるものではないでしょう。そんなことできたら、こんなblog人格やってません。僕が一番上手にガン見から眼をそらせるんだ……!




さてそこで! 安全な場所から嘲笑える豊かな未来を目指してご紹介するのが……こちらのメソッド!! 肉骨粉オリエンテッドです。




肉骨粉オリエンテッドとは?


http://b.hatena.ne.jp/entry/http://deztec.jp/design/06/12/12_conclusion.html


ここなる結論オリエンテッドから理由を引き算します。相手の理由、筆者の意図、をよくわからない獣を見るような眼で見つめる、荒涼吹き荒ぶ荒野の読解技術が肉骨粉オリエンテッドです。bloggerがなぜblogを書くのかと言えば、「書いている、という状態でありたい」からです。書いたものを伝えたい、褒められたいなどは余暇の趣味的なアレです。別。別欲です。「書いている、という状態でありたい」欲は単体では発展性はありませんが、他の欲望と接続することでやたらめったらいろんな形に発展します。皆さんが目にする多くのエントリの半分は欲望でできています。残りの半分は優しさです。でもその優しさは痛くするほうの優しさなんだ。それでも泣いちゃいけない。泣いちゃいけないんだったら。




歌います。




やめた。




さて。発展に対して何か恨みでもある、書いたもん読ますな、吐いた唾飲ますな、という場合において肉骨粉オリエンテッドは有効です。読解を物質的に分解し、筆者の「書いている、という状態でありたい」以外の欲望の芽をつぶします。肉骨粉オリエンテッドを用いれば、特に興味もない文章を何一つ考えず読み飛ばせることでしょう。「意図」なんて、読み取ったらなんかおもしろくなっちゃうときに読み取ればいいのです。そのためのリテラシー。読みたくないものは読まなければ、blogの軸が一本通ってぶれません。したらば、web人格を名乗れもしよう。




肉骨粉オリエンテッドを詳述します。

「肉」は、具体です。表面上に見えている内容を指します。ぶ厚く筋肉質だったり、きめ細かく弾力性があったりします。何の肉かわからないときも、肉は肉です。
「骨」は、姿勢です。「肉」を形作っている価値観であり、どのような昨日で動くか推測するのに役立ちます。死んだあとも残り、まれに魚拓から発掘されます。
「粉」は、叙情です。肉と骨にまぶされて雰囲気をつくりあげるものです。うさんの香りと蜜の味。


ここまでくればあとは簡単ですね。勝てるメタbloggerになりたければ、「骨」だけを見て、他の「骨」と比較して述べればよいのです。これであなたもみるみるメタ。
もし反論を受けたら?「肉」についての反論ならば「当事者性の問題ではなくてですね……」と返しましょう。「粉」についてなら「バイアスがかかっていますね」だけでかまいません。相手もメタbloggerで、「骨」の話題になった際はちと厄介ですが、「あなたとわたしの分類法は違うようです」と答えるのがベターです。何も言わないのもよいでしょう。最終的に、あなたの分類が巷間で自明となれば、それが勝ちです。理性的な反論者にも、非理性的な反論者にも、淡々と骨の歪みを指摘し続ける手法は有効です。理性的な反論者は自ずから引き下がるでしょうし、非理性的な反論者にはもれなく、人類を平等と考える皆様が非人類であると差別してくれます。一身上の都合により傷つきやすいbloggerが傷ついても、「それでもぼくはやってない。肉に触ってないじゃないか」と、あらぬ疑いを避けることができます。




本来、肉骨粉オリエンテッドは、読解のズレを解消し異なるは解釈の料理法のみ、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ。という比較的穏当な発想から生まれた手法でしたが、成り上がりたいbloggerの皆さんにとっては、こけしもかかしもみな鈍器。存分に腕をふるって、屍山血河の果て、アルファルファの荒野で孤独の境地を目指すために使うことができます。
それではここらでお別れ。いつかメタの果てで会えたら、肉骨粉オリエンテッド実践編の話をしましょう。そのときは他人のふりをお忘れなく。