「自由なんてシャボン玉」

今日も自由ですか、あなたたち?
どもども。槍溝でっす。死体性病のハニーソースウィートとして憑依してまっす。


「ミューズも憑依させずにはやれんよ。愛し合うってのは1人でできるもん、じゃない。1人が他者を想像してするのである。するのであるって何をするかっていうか何をしこうするのである。嗜好し、思考し、指向するのである」ですって。てなわけで、<導いて蔑む女神>としてこの槍溝愛、参上しました。


突然ですが、命題です。「ヘレン・ケラーって自由ですか?」
あたしからすれば自由です。自由ってのは常に受け取る者のスタイルで、手渡すものの意識する自由なんて「縛られずありたい」って決意表明です。では、ヘレン・ケラーは受け取り手なんでしょうか?イエス。何が無くても、舌があれば。自由はフレーバーの一種で、いくつもの濃淡のたった一葉でしかありません。濃い自由は舌を痺れさせます。けれど薄い自由じゃ物足りないってわけ。


あなたにはわかりづらいかしら?では、眼球に映るようにしてあげましょう。つまるところ、自由なんてシャボン玉

大気中のシャボン玉は、自由の濃度が薄ければ割れてしまう。意識した食う気に押しつぶされて。
濃ければシャボン玉は作れない。多すぎる空気の中に、かすんで生まれてこない。
もちろんこんな条件は地球人類にとっての条件なんだけど。
どうかしら?


一歩進めます。自由はあなたと関係ない。自由はあなたの手を放れている。東京には空がないように、あなたに自由はない。
自由は浮かんでいる球体にすぎない。
そもそも自由って、フリーの翻訳で形容動詞なんだから、自由があるというのは不正確なの。自由である、とが適当な翻訳。そんなことじゃセッコに先回りされたときどうする気ですか。


あなたが持っているものは、ただ権利。ただし権利は盾にしかならないの。
傷つけたければ。殺したければ、自由でありたければ、あたしの言ったことを全て忘れなさい。
忘れられた?
そう。うらやましい。