像を結ぶ瞳

FLASH EXCITING 10月30日増刊号」で長崎莉奈さんがU-19アイドルでイチバンに。ふーん。
俺以外の意見は興味ありません。この中に、俺、時間軸ずれた俺、並行世界の俺がいたら俺のところにきなさい。
ともあれ、DVDで長崎さん特集なので俺も満足です。
そんで同じ雑誌にて、長崎さんはコラムを連載してます。わお!文章も書けるアイドルだってぇ。おばあちゃんも思わず教祖に相談!「いつになったら、孫はひきこもりを……」ばたーん!現実へのドアをkick out!いつだって現実に繋がるのは、ドアか窓しかないんだぜ。そして俺にドアはいらねえ……!なぜかって?HIRAYAだからさ!窓からのが勝手口に2歩近いし、おばあちゃんに見られないで外出られるんだぜ。外に出て、デモへ行こう。家賃はいいから、俺の生涯労働時間をタダに!そんで国で養え!帰ってきたらおばあちゃん、その色とりどりの壷はいくらだったんだい?


そんなことはどうでもいいよね。話を戻して長崎さんのコラム。そのコラムが官能。いやこれがすごい。すごいすごい。安い安い。ありふれたトラウマと安っぽいつながり。大量生産品の大安売りだ。ちょっと引用してみよう。

そしてその光景を理解した一瞬だけあとに、その女と目があった…。
…その女は私の母だった。そうではないと、頭のなかが否定しようとしたけど、それは間違いなく母だった…。
そのとき、母が大きな叫び声を上げた。しかし、その大きな男は一瞬私の方をその冷たい目で見たが、また母の上に覆いかぶさって、こちらを振り向くことは2度となかった。

それそれ言いすぎ!指示語指示語。どこでどれしてどうにかする。あんたの見覚えある体験は何を指示語してるってんだ。
しかし紛れもなく、私はそれを愛する。超愛する萌えるアモール。
その瞬間。その人に。それをして。それが何かなんてどうでもいいんだ。愛してる。
郊外とかヤンキー文化とか模造品消費社会とか。よく分かんねえけど、紛れもなくこれがリアル。俺のリアル。超リアルな手ごたえだ。長崎莉奈は最高だ。愛するに値するリアルってやつだ。愛に挿れ"た"ら値だし、値のたぬきは愛なんだ。俺超うまいこと言った。超うまいこと言った。
そんなんでだからおばあちゃん。その壷一個俺にくれないか。だっておばあちゃんの宗教だってリアル。そのリアル俺も欲しいよ。あとこの壷ステキだしね。絵の具のチューブを全部ひねり出したみたいにカラフル。
あらゆる近しい人のリアルを「ちょっとちょうだーい」ってつまみ食いして俺は俺のリアルを獲得する。あっちのリアルとこっちのリアルは混じりあわないけど、どっちの色も俺に塗られる。(うまい例えが思いつかないけど、幾何数学と宗教・エロ動画とヴィーナスの肖像・「The World is Mine完全版」と「ぱにぽに」なんかみたいに)
そんで、わーって泣いたり、にやにやと笑ったり、ふむふむ感心したり、うっかり「お前は俺か」と思ったりすること。それが俺を形作るリアル。そんだけあればもう他にいらないや。
それでも、いつだってリアルは足りない。
リアルを写した俺の瞳は、実は何も写さないで吸収して、俺になってしまう。その色は俺の一部になってしまう。
だからリアルを。
もっとリアルを。
そうして俺は今日もインターネットをする。ほほん。日差しが暖かいね。でもちょっとモニター見づらいね。カーテンを閉める。シャット。