それいけ徒弟制度

だいたい4、5冊の本を並行して読んでいます。思いもよらぬシンクロニシティシンコペーションして、1冊読むのでは味わえぬ体験ができますが、代わりに1冊の本の内容は理解できないコースになっております。
最近読んでいる本の紹介をしてみましょう。

女子高生はエビやイかを食べるのだ。
佐藤多佳子「スローモーション」より

長年の女生徒経験から生まれる言葉の重み。素人はむきエビをフォークで食べる様を想像してしまいがちですが、ここは手づかみで殻や皮を裂きながら食べていると読みましょう。特殊女生徒観察のためにダブりも辞さなかった私からすれば、不細工な女子という視点は性的に過ぎます。あなたがセックスできる目線で会話するのがそもそも間違いです。対策としましては、エビをむく女子の前で、熱々の天津甘栗をむいて食べましょう。麗しい思い出です。誰ですか?対策なんて言ったのは。そんなの人が教えてくれると思ったら大間違いです。自ら習いましょう。

汚す速度よりも磨く速度を上げていけば汚れないというだけですね。
斉藤政雄「調理場という戦場」より

至言です。「呼吸をするように嘘をつく」というのは先天的才能であって、習得は難しいと思われるかもしれませんが、そうではありません。これは分かりやすさを重視し、言葉を短絡にまとめているために誤解が生じているのです。原典である所ジョージ著「赤信号みんなで渡れば大往生」にあたれば、正しくはこうです。
「呼吸する速度より嘘をつく速度を上げていけばいいというだけですね」
これは嘘をつくことに限らず広く応用が利く言説です。一度その呼吸を覚えれば、他の分野にも応用が可能です。料理人は呼吸する速度より速く、料理を作ります。それを毎日18時間。立派な嘘つきにもなろうというものです。

どこからが帰り道であるか、その点を一再ならず反芻する必要あり。
色川武大「喰いたい放題」

すべての道は食に通じます。しかし通じたからといって、じゃあどっから帰ってくるのか。すべて膀胱にしくはなし。それはちょいと頂けない。うんこは頂きたくない。行きはよいよい帰りは怖い。帰り道にこそ、細心の注意を払って損はありません。今なら同じうんこがもう1つついてこのお値段。
何気なくしていることから、多く学ぶことがあります。徒弟のつもりで挑みましょう。
例えば私は今このエントリにオチをつけようとしています。
けれど、心がけが正しくない。もしくは処女の土手がやらしくない。もしくは祖母のボケがおもしょくない。ほぼオチをつける気がない。なんかめんどくさい。鰻食べたい。犬を飼いたい。来年の今頃はビッグになってたい。ドンドンドンダンダッダデデデンワーイ。こぶ平うるさい。こぶ平はしゃぎすぎ。こぶ平バーチャロン超うまい。の3本です。


と適当ぶっこいてたために、完全にオチを見失いました。謙虚な気持ちを失ってはいけません。こういうのを反面ガエルのぴょん吉だーい!と言います。こぶ平とピョン吉で新たな何かが始まりそうですが、始まりゃいいってもんではもちろんありません。