バレーボーイズが帰ってきた、本当の本当の本当の理由。

「ドルメニア・バスライダース・ジュベベデタブトゥーッ!!」


怒声と渾身の筆の運びとともに、村田ひろゆきは最後の乳首を書き上げた。
裸の上半身をびっしょりと濡らす汗。立ち上る湯気。執筆の激しさが容易に想像された。裸の下半身も想像できた。見ないようにしてたのに。
ともあれ、今週の『バレーボーイズ』も、すばらしい乳首が描かれているに違いない。担当の葉倉崎には長年の編集経験ではっきりと悟る。
どさり、と村田が倒れた。疲労の極みであった。
16年。週間連載を16年続けているのだ。仁王立ちで、己を奮い立たせる呪文を叫び続け、あらゆる女の乳首を精緻に書き分ける、孤独な戦いを。
戦い抜き、全身の力を出し尽くし倒れた村田を、葉倉崎は助けない。そのそぶりさえ見せない。煙草に火をつけ、心のこもらぬ声をだす。


「いやぁ〜先生、お疲れ様でしたぁ。今週もなぁんとかぁ間に合いましたぁ。いやいやぁヤンマガの看板であらせられる村田センセイの作品がオチたりしたらぁコトですからねぇ。何ですか?もちょっと、も〜ちょぉっと、早く原稿いただければありがたいんですがぁねぇ。いやいやいやぁそんな野暮は言っちゃあ……」
「馬鹿だな」
「はい?」
「言葉をしゃべれば、僕があんたを人間扱いすると思うのか?まったく救いがたい馬鹿だ」


筋肉が限界を超えた運動にしびれ、震えているように力の入らぬ体に、気づかれぬように舌うちしつつ立ち上がる。


「僕はもう連載終了する」


葉倉崎は冷笑で応じる。


「まぁ〜たセンセイの口癖だぁ」
「無駄に口をすり減らす前に、大局を見ろ。エロの主流はとっくに変わっているだろうが。俺には萌えは書けない。
目が使えないなら指を折れ。エロで16年は長すぎる。
そんなことも分からないか?役立たずの指なんざ切り落とせ。生き残るには頭を使え。
・新しいシチュエーション=補給もない。
・新規顧客層の開拓=増援もない。
・コミックスの売り上げが伸びない=戦闘の継続に意味がない。
・オチを楽しみにしている読者がいない=勝利がそもそも存在しない。
さあ続けることに意味があるか?僕にできることは、死ぬ覚悟で千の乳首を書き分けることだけだ!!
生き残りたければさっさと逃げることだ。脳みそもないんなら、僕が生き残るために死ね。僕はヤンマガを離れる」
「いやいやいやいやぁ。<ハチクセンジン(覇乳首千身)>と言われるセンセイが、そんな弱気なことを」
「……僕は単なるエロ漫画家だ。柱で煽り立てたのはあんただろう」


怒るほど明晰に理を諭す岩谷に対して、あくまで下手に、しかし理には応じない。今まではそれで抑えてきた。これからはどうなるか。ここか。ここが正念場か。葉倉崎は、にじむ汗を悟られぬように拭った。

「アレですか?やっぱり、<吾御なし>の平本センセイがうらやましいんですか?」


村田は笑った。ただ愉快そうに顔を歪めただけだったが、猫の毛が逆立つような感覚を覚える。


「や、確かに。俺と悪魔のブルーズみたいな、ああいうのをセンセイも書きたい。その気持ちは大変わかります。しかし、バレーボーイズに人気があるのも、事実。だからですね、ええっと、賭けをしませんか?」
「賭けだって?」


あせりのあまり、事前に考えておいた段取りを飛ばして、提案してしまった。くっそ!恐れるな。漫画家だろうが人間の1人で、俺はそいつと同等なんだ!担当は部下ではない。むしろ上官と言ってもいい。「上官の指示は命を賭けて従い、そして死ね」これは村田、お前の口癖だろう!
葉倉崎の動揺をよそに、村田は提案に興味を示したようだった。笑ったままではあったが。


「あのですねぇ。バレーボーイズは、センセイの希望通り、いったん終わりましょう」
「ほう」
「ただし、ただぁし、最終回でこぉういうヒキをするんです。
『バレーボーイズはいったん終わるけど、みんなの応援があれば、また帰ってくるぜ!』
そぉうしまして、読者の皆さんの反響。コレで決めようじゃなぁいですかぁ〜」
「うん。悪くない」
「へ?」
「君は耳すらないのか?どんな化け物だい。悪くない。と言ったんだ。しかし、そうだな……カラーページは用意できるか?」
「え、えぇそりゃぁ、最終回はもちろん表紙アぁンド巻頭カラーで」
「巻末だ。巻頭じゃあない。君の提案は物語には関わらせない。その条件なら、あるいは連載を続けられるかもしれない」
「セ、センセェ〜イ!わっかりましたぁ!編集長を殴ってでも、巻末カラー予定のグラビアアイドルと不倫してスクープされてでも、巻末カラーをとってみせますよぉ〜!!」
「頼んだよ」
「はいぃ!!!!」
「あぁそうだ。結果が分かるまでは、適当に前にやってた連載でもリライトしておこう。訓練にもなるし、陽動にもなる。もし連載をやめても、君も編集長にどやされないですむだろう。さあ、そろそろ原稿も乾いた。持っていって動いてくれ。迅速に、隠密にだ」
「あ、ありがとうございますぅ〜!!」


葉倉崎は原稿を受け取ると、印刷所へ走った。
まさか、こうも簡単に騙されるとは。
アンケートの結果などいくらでも捏造できる。エロ以外は他の作家の領分だ。村田がエロい乳首を描けることは認めるが、村田の作家性など葉倉崎にはどうでもよかった。
ただ、村田がエロの役目を担うことで、雑誌全体のバランスをとることができる。新人は雑誌を担う作家にならずともよく、存分に新境地のマンガ家を載せていける。
さらに、新人がブレイクし、雑誌の方向性が変わっていった場合は、村田を切り捨てる名目ができる。同じ提案を持ちかけ、今回より悪いアンケート結果を捏造すればよい。
葉倉崎の編集としての処世術は、このように大御所と新人を天秤にかけることだった。
村田のやる気を駆り立てるために、編集を憎み嫌うよう振舞ってきたが、村田は存外、楽に使える駒のようだった。
―――ダメになっても、俺を頼ってきたら、使ってやらんでもないな。
葉倉崎は数ヶ月ぶりに、バレーボーイズを読んでみることにした。




村田は、葉倉崎の去った自室に、まだ、いた。
葉倉崎のつけた煙草を見つめている。根元まで燃え尽き、火がほぼ消えると、使用人(アシスタント)に命じて、フィルターはゴミに、灰は葉倉崎用のインスタントコーヒーに混ぜさせた。
ふんどしを新しいものに履き替え、食事の準備をする。肉を裂く村田は、鼻歌を歌いながら笑っていた。
度し難い馬鹿だ。己の立場しか見ようとしない。
見なくてはいけないのは読者だ。
「読者の声で、連載の継続を決める」
おそらく、そのデータは捏造されるだろう。葉倉崎のやりそうなことだ。
しかし肝心なのは、そのページを読者も目にする、ということだ。
そして、読者を心底呆れさせれば、バレーボーイズに期待するものは減る。
連載は再開する。そこからは俺の戦場だ。俺の物語だ。えぇ、バレーボーイズをこなごなに打ち壊してやろう。それが読者に受け入れられれば、よし。駄目ならば、撤退だ。漫画ゴラクに話はつけてある。形は変わっても、俺は生き残る。形が変わったことで、葉倉崎は責任を問われる。
連載を再開させた後、葉倉崎はどんな顔をするか。いや、奴は気づきもしないか。読んでないからな。
笑いを抑えきれないまま、村田は肉を縄で縛りはじめた。ローストビーフを作るのだ。