STUDIO VOIE VOL.363 March 2006

今月号のスタジオボイス読んだ。
「今最も面白い小説150冊」。
第一特集 今最も面白い小説150冊!
第二特集 批評本のリアル・マップ
どっちも超くだらない。

という話に辿り着くために西島大介凹村戦争」の話をします。しますよ。辿り着けないかもしらんが。

凹村戦争はたぶん批評性のあまり、オチがなくなった作品。
STUDIO VOICE VOL.363 第二特集 批評本のリアル・マップ トークセッション1 西島大介発言より

批評的マンガ、ではなくて、マンガによる批評、でもなくて、マンガであることが同時に批評でもある、という意味でまさしく「批評」と呼べるのが、…(中略)…この作品だった。
STUDIO VOICE VOL.363 第二特集 批評本のリアル・マップ 重要批評ブック・リスト「凹村戦争」項より 文・仲俣暁生


とあるけど、なんだ?批評ってのそりゃなんだ?さっぱりわかんねぇ。


俺の凹村戦争の感想は
「あー『宇宙戦争』を日本の村に置き換えて、その村のツタヤで『宇宙戦争』が借りれたりして、作中でこの状況ってそりゃ『宇宙戦争』じゃねえかっ!!とツッコんだりして、そうした諸々ひっくるめて現代っぽいねって2ちゃん風掲示板とか受験戦争とかで比喩しておるのね。その手法ニューウェーブっぽいなー。でも、見立てた風景もその上の物語もあんまり面白くねーなー。そのような手法で愉快なことをしておるおっさんはたくさんいるよなー。西島先生の次回作にご期待ください!!ってなもんか」


といったところで、ニューウェーブっぽい手法として理解していた「サンプリング」。これが「批評」と呼ばれて評価されてるみたいで、驚いた。うん。なんつーか驚いた。
80年代に至る辺境で好き放題やられ、90年代にメジャーなとこでもバンバン使われ、00年代はそれを背景に拡散していってる、んじゃねーの?
上の引用部分で「批評」を「サンプリング」に置き換えてみると、岡崎京子の本への話でもしているみてー。


というところでスタジオボイス第二特集に思うのは、批評という言葉のどうでもよさ。
「手法」に置き換え可能な言葉を、そこにくっつける精神性(意味づけをする意味)行動とか社会とかへの干渉性(変わるんだぜ!変えられるんだぜ!)で語る。思想の人の言葉を引用して、当てはめてね。
そりゃかまわない。サンープリンーグーは、かっこいいもの。
そういう人ばっかなのが、面白くねー。もっといろいろ呼びなさい。ブロガーを呼びなさい。サブカル(なのかは知らんけど)が、ネットを更なるサブカル扱いしてどうしますか。そんな中心に何もない同心円は嫌ですよ。
RPGもシームレスなご時世です。(ローグ批判禁止な!!)
ルーツや立ち位置に、批評と批評対象ばっか持ってくるのは、もういい。
同級生の岡本君や騎馬戦でのあの子のふともものむっちり感。そういうのないのか。


訂正します。間違えました。くだんないんじゃなくて、ないものねだり。
あ、海猫沢めろんは、いい仕事をしてました。「嫌オタク流」もよかった。中原昌也とガチで戦いつつ、異種格闘技戦もできるなんて!!!!!




以降、ちょっと手を抜く。
第一特集は、ほんとくだらなかった。
小説を主題のみで評価するブックガイドはひでえよ。主題を全部書いちゃうのも。いくつかの本を読む気なくした!!!!忘れた頃に読むけど!!へんだ!!!!!!!


あと、舞城王太郎評と佐藤友哉評を書いてる奴は、あれか?バカにしてんのか?
俺は「暗闇の中で子供」も「世界は密室でできている」もドラマと文体を楽しんだのに!!!!ユヤタンは「子供たち怒る怒る怒る」も「水没ピアノ」も、あと「クリスマス・テロル」も書けるのがイカしてんのに!!!!!!
情報量と仕掛けの寡多で小説を語るのは、へどが出る。へどへど出る。でもも出る。デモはしない。


どうだ!!!ネットがブログが、てめーを批評してやったぜ!!!!へーん。ちんちーん。
と、悪意ばっかのオチはやめよう。
最近読んで面白かったのは、かわかみじゅんこです。わーい。