「敷居の住人」に共感してたまるかって。

読んでちょっと吐きそうになった。口の中がすっぱい。
けど、そいつは否定的な意味じゃない。


そもそも感情と肉体、感情と行動の関連なんて、あやふやあやふやしたもんじゃん。
吐き気がしたから拒否反応。なんてこたーない。
むしろ俺、愛してる。ってキメぇな。なんだ。うん。なんつーんだ。


生活にいろいろきたさぬよう、普段は、何でも突き放して客観的に読むように心がけている。で、そうすると「敷居の住人」というのは、どうにもよく分かんない。思考をトレースして読むことを必要とし、その材料となるべき分かりやすさが極力排してある。そのため思考のトレースは想像・妄想の類に近くなり、その材料は読者の記憶から掘り起こすことになる。そうして得られるのは、「他人のことが分からない」という認識だったりする。結局分からないのだ。


そして「敷居の住人」は分からなさに立ち止まってしまう人の、立ち止まってしまう時を一貫して描き続けたものだ、と思う。
こりゃ大変だ。共感してたまるかって。共感したりしたら、なんとかごまかしたり、一応の結論をつけたりしてる、イロンナコトやイロンナヒトを思い出して、考え直すはめになっちゃうよ。
というわけで、今なんとかやっていくためには、共感なんてしていられない。
必死に、客観的に、川原泉からアイディアを抜いたものだろーか、とかこじつけるだけだ。


だからダメ人間のキミ!!!!
共感しちゃダメだぞ!!!!
お兄さんと約束だ!!!!!!!!


しかしまた読みたい、とも思う。今度は死にたくない時に。共感してたまる時に。
それって、いつになるのかな。