暫定的「エアマスター」感想

エアマスター」は、現在の戦闘マンガにおける最奇形であるだろ。
たー言わないが、もう少し狭義で格闘マンガのアレの果てなんだと思う。


初期の話から、人間関係と、戦う動機と、戦いの勝敗が、バラッバラで且つ、どれが優先されることもなく共存している。従来の戦闘マンガの構成をもっとも大きな構成要素であっただろう「強さ」ですら、逆転!再戦!咬ませ犬化!を繰り返すので、意味を持たない。


何か見覚えのあるもの、理解可能なものが、構築されてはぶち壊されていく。
類型がない。
それは同時代の格闘マンガ「バキ」に似て。見えるがそうじゃない。まったく違う。
「バキ」は父親を乗り越える物語、成長の物語だ。いかなる展開も、バキ・ユウジロウの親子との比較が、最大の意味を持つ。少なくとも、そういう類型と読むことが可能だ。ビルドゥンスクだ。山脈みたいな名前のやつだ。


エアマスター」は類型にとらわれては、即座にそれを破壊する。
その最たるモノが「深道ランキング」。
登場する格闘家全てに順位をつけ、優劣を可視化したものだ。しかし、絶対的な優劣はことごとくひっくり返る。優劣を乗り越えるというドラマすらない。勝利は心によってもたらされたりしない。出鱈目だ。なんだこりゃ。ギャグか。ギャグなのか。一番近いのはギャグかもしれないが、笑ってばかりもいられない。とんでもない。馬鹿馬鹿しい。現実じゃない。嘘でもない。なんてこったい。やっぱ、なんてこったいが一番近い。


俺の興味は、類型にもならないような衝動を形にするものと、過剰な類型を作りこんでいくもの。という両極に向いていると思ったのだが、作りこんだ類型を徹底的に無意味にしていく、というものが一番好きらしい。
あ、そうか。この図式は、パンクとテクノ、んでニューウェーブ萌えって形か。なんだ。前からそうじゃん。


未消化な部分。
・真逆の果てにいるのが「タカヤ」
・ランキング一位のオカルト/深道参戦あたりから、ちょっと怪しい。完結したら、結論は全然違うかもしれない。