チェーホフ「三人姉妹」

木のような、柱のようなものが、ごろごろしている。屋内にも見えるし、庭だったりもする。そんな舞台。そこそこ広い劇場だったのに、客席と舞台の境界がひどく近い印象を受けた。
それは、効果的だったのかどうなのか。空間の使い方や視線の方向。演出っつーものの匙加減が効果的だったのか。よく分からない。
そりゃ古典芝居を見慣れてないせいかもしれないし、脚本が暗示している内容を観客に咀嚼させえなかった未熟なのかもしれない。
いや、ほんとよく分からなかった。


んーなんとなく音楽っぽいのかな。
状況の変化ってのが、舞台上ではないとこで起きて、それでどう思ったか、ってのを誰もが独り言のように呟いている。交わらないそれぞれの呟きが、かわるがわるあちこちから聞こえてくるのが、立体に配置されたスピーカーが動いて、音を鳴らしているようだった。
そういう感覚は新鮮だったが、多分それは演出上の意図によるものじゃなかったと思う。
会話のようでいて会話してない台本を演じるためにこうなってしまった。っつー結果的なもん。に見えた。いや、聞こえた。
なぜなら、会話しようとしてる役者と独り言だと割り切ってる役者が、どっちもいたからね。


そーいう聞こえ方はアレとして、長い台詞の言い方に身がはいってなかった、っつーのも音楽っぽかった理由かな。そいつはいけない。
しかし、いちいち「もっとこう言ってこう動けばいいのに」とか思いながら見てる俺が悪いんだろう。
芝居経験者以外はそんな風に見ない。
で、芝居の客は経験者が多い。他の娯楽より絶対多いと思う。
マーケティングの面で新しい芝居を見たいもんだ。全然ありゃしない。不満。それ不満。