叩き割ってぶちまけて見下ろす ほんとうの無意識

ブログ始める前に、何書きゃいいのかのか考えてたとき読んだ、ダグラス・クープランドの「Micro serfs」っつー小説、これ、serfsって単語は、公僕とか従事者とかそういう意味があって、その感じとサーフィンしていく感じを掛けたタイトルの小説。内容は、どーしよーもないけどプログラミングは抜群のgeekな人が、どーしよーもないままでオッケーなマイクロのソフト会社で働きつつ、このまま年食ったらやべーなと思っていて、同僚のどーしよーもないgeekとマイクロやめて会社作って、別の意味でどーしよーもない家族とか社会とコミットしてみて、お互いどーしよーもねーなとほっておいた同僚と支えあってみたりして、何とかやれんじゃん。どーしよーもなくても、そんなにどーしよーもなくないじゃん。といった大雑把な小説で大笑いしたんだが、一点、素晴らしいアイディアあり。


この小説は主人公の日記という体裁であって、その中で、日記と同時に己の無意識をテキストファイルにしてみるという試み。
なんで、そんなことしたのかってな忘れたけど、要所要所に、日記に書いてたり書いてなかったりする出来事から連想した単語がずらずら

なページが挟まれる。


会社を作り始めるくらいまでは、どんだけ人生が転がってっても、プログラミングやらはまってるgeek趣味なるものものの固有名詞ばかりが並んでいる。
それが、だんだんと、たどたどしく。
他人の心のことや社会のことを、心理学だったり経済学の言葉を並べて、ちょっと悩みだしたりする。
父親が仕事をくびになって、自分の会社で働くようになると、子供の頃の父親との思い出にまつわる言葉が並び、
恋人ができたら、女の子とデートして見た風景や笑顔の美しさを書きとめようとする。
そいで、やがて、仕事がうまくいくと、ありがとう!
悲しいことがあると、がんばろう。
って、気持ちを言葉にできるようになるんだ。
相変わらず、好きなアニメの引用とかコンピューター用語に例えたりはするけど。


そいつに、ちょっとじんときた。
なんで、そーゆーことを、どーしよーもない奴がどーしよーもないまま、何かいえるようになろうと思った。


だからなんだってゆーとアレだけどさ。
思っただけで、やっちゃいない。
忌々しい。
叩き割りてー。
ぶちまけてー。
見下ろしてー。
過剰に。過剰に。過剰に。かかかかじょうに。嘘だろってくらいに。