not fuck'in already

スケバンのいた頃 (講談社文庫)


俺はパンクパンク言うとるわけだが、根はまったくパンクな人間じゃねえ。
他人をどうやって思い通り動かすか、ってことばかりを考える。
他人の感情を予測して導くために、思っても見ないことを言う。
スーパーエゴイストってんだな。
そうそううまくいかないし、うまくいってもクソ面白くねえのがまいるけど。


そんでもって、中場利一の書く人々はたまらなく眩しい。
しかも、学校。学生。手の届くやつらの中で、手を握るか殴るか選べるってのは、なんて羨ましいんだ。
それに、したくなかったら何もしなくてもいいんだ。何もしないし、何も言わないで、できることだってあるんだ。


悪意もある。たぶん俺に近い、転校生のいつも笑って本音を見せない女の子みたいに。
しかし、嫌悪だって、孤独だって、理不尽だって、もちろん暴力だってあるんだ。同じように。
それ全部をどうにもできないけど、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、何かできた熱血先生ってのは、何でもあることを見ていくにゃ、いい視点だ。ヤラれた。


んでも、そんな学校の話を過去にして、変わった生徒と変わらなかった先生という話にくるんでしまうのは、うまくないと思った。つか、嫌だったな。
まったく、俺の好みの問題だ。中場利一には、「変わらない」よりも「どこかに向かってゆく」ことを書いて欲しいっつう。




あー、夜が明けた。やたらと長くなっちまった。