窓際

「んじゃ練習の時間なんで、体育館に集まってくださーい」
と学級委員が呼びかけて、だらだらとつるんで教室から出て行った後で、なんとなく取り残された。しょうがない。特に仲いいやつもいないしね。


誰もいない教室にも机と机と机があって、それ同士の距離感、それに座っているやつらの距離感が残っていて、なんとなくそれからはずれて教室の後ろの方で窓際にもたれてみる。カーテンにくるまってみる。
太陽をいっぱい浴びて黄ばんだカーテンはごわごわして暖かい。


暖かくて、そんで汗かいてきた。あっつい。蒸しあっつい。夏だもんなそりゃ。
横着してカーテンをまきつけたまま、窓を開けたら、風がぶわっと吹いて、何してんだろうなぁ俺は。


向こうに体育館が見えて、うちのクラスのやつらが体育館シューズに履き替えたりしている。あー、なんか行きそびれたけど、今から行く気もないけど、迷惑かけるのは嫌だなぁ。
さっき配られて、けつのポケットに入れっぱなしだった歌詞カードを取り出す。


「この大空に翼を広げ 飛んでゆきたいよ
悲しみのない自由な空へ 翼はためかせ ゆきたい」


そらを見てみると青いし広いし、自由っちゃ自由だけど、悲しみがないわけないよなぁ。
悲しみがないとこに行きたい、ってそれ悲しいよなぁ。よっぽどなんだよなぁ。


なんて思いつつ、ちょっとは練習するかと思い、歌ってみる。空とか見上げながら。
「このおぉぞらぁにぃ〜、つぅばさぁをひろ〜げ〜、とんで……」
「灰野くん?」
ってうおおおぉおあおああっっっ!


振り向いたら同じクラスの新伊達がいた。
ぽかんとした顔で、こっちを見ている。
見んな。あんま見んな。恥っずかしい。1人で教室で、なんか空とか見て歌っちゃってるって、そんなセンチメンタルな、うっわ恥ずかしい。隠れてぇ。
ってカーテンに隠れたりすると、いっそう恥ずかしいので、やめる。
まだ新伊達はこっちを見ている。だから見んな。
驚いた表情も変わらずで、ああ新伊達って確かこういうおっとりだった子だよな。と思い出す。


黙っているのもつらいので話しかけてみる。
「どうしたん?もうみんな体育館行ったぞ」
すると、ようやく動き出した新伊達はロッカーの方へ歩きながら言う。
「あ、体育館シューズ忘れちゃって」
そして、自分のロッカーをごそごそと探す新伊達をぼへっと見る。まあ、特に話すこともないし。
出てくか。そしてふけるか。
と思ったら、新伊達がこっちを向いた。
「なんか、びっくりしたよ〜。歌ってるから」
「あ?おお」
とかごまかすと、ちらっとこっちを見て笑い出した。
「灰野くん、かわいいとこあるんだね」
かわいい、か?
「うっさいよ」
っつって目をそらし、カーテンを投げ飛ばして、出て行こうというもくろみは、気がついたら新伊達がこっちに来て、こっちを見ているのでできなくなった。


窓のサッシにもたれながら、
「こういう風に話すの初めてだね」
と言う。こんな風に話したくないです。そっとしておいてほしいです。
「灰野くんって、もっとクールな人だと思ってた。近寄りがたいっていうか」
「いや、普通だよ普通。あんまクラスに話すやつがいないってだけで」
「休み時間とかいっつも1人だよね。授業中も寝てるし、よく早退したりするし」
新伊達、悪意はないんだろうが、本人も気にしてるんだから、そういうこと言うな。
「うちのクラス、まじめなやつが多いからな。中学で仲良かったやつ、みんな西高だし」
「えーなんでうち来たの?」
「なんつーか、まあ、何かの間違い?」
無邪気すぎ。いろいろあんだよ。親の世間体とか。あーやだやだ。


ナチュラルに話題をそらす方向に持っていってみよう。
「新伊達は、中学から仲いいやつとかいないの?クラスに」
「エツコかなぁ。うちのクラスだと」
「遠峯か」
遠峯は、さっき仕切ってた学級委員長だ。
「あ、遠峯さん待ってんじゃないの?早く体育館行ったら」
なんて促してみる。早く会話終わらせたいんで。
「灰野くんは行かないの?」
「俺はフケる」
「いいじゃん。みんなで歌ったら。灰野くんキレイな声だよ」
やめてくれ。そこを蒸し返さないでくれ。
恥ずかしがって、かわいーとか言われるのもやなので、外を向いて、窓枠に腕組みしてみる。
「いーよ。そういうのは」
これはこれで昔の不良みたいで、かっこわるいな。ま、新伊達がとっとと行ってくれりゃそれでいいや。
と思ったのに、新伊達はサッシに腰をのせて座ってしまう。
「じゃ、あたしもいーよ」
そして沈黙。おいおい。なんだかなぁ。
見上げた新伊達の横顔は、けっこうかわいくて、なんだかなぁこういうの。いやだな。お前と仲良くなりたくねえよ。
「あたしね、変わりたいんだぁ」
教室を見たまま新伊達が言うので、視線をはずして外を見て答える。
「なんで?」
日差しが見えるような明るさ。校舎めがけて吹く風が、窓に流れ込んで通り抜けていく。
すずしー。
「なんか、なんとなく。もっと今までの違くて、違くなって欲しかったんだけど、なーんも変わんないんだもん」
それがなんでよ?まあいろいろあるんだろう。
「ふーん」
でも興味ないんだよ、そんなん。


俺は変わらないでいたかった。ずっとあのままアホやったりしてたかった。
でもまあ、それが普通なんだよな。なじんでいくんだ。
やっぱ同じ学校に行ってない、ってことは重い。
夏休みには会えるだろうけど、それはもう昔とは違ってるんだろう。


俺も、なじんでいいけばいいのかもしんない。
新伊達やクラスメイトと。
それとも、
それともここから飛び降りようか。
今飛び降りて、俺が死んだら、そしたら新伊達は変われるし、俺は変わらなくてもいいぜ。
どうなんだろうこういうの。


合唱の声が聞こえてくる。
運動場で、ピンク色の頭がハードルを飛んで、ゆれている。
なんでだかわかんないけど、黙っているのが嫌になって、俺は多分生まれて初めて、思っていたことをしゃべってしまう。
「今俺が自殺したら、変われるんじゃねえ?」
「はあ?」
「ほら、なんか、クラスメイトが急にここから飛び降りたりしたら、すごいじゃん。すごい変わるんじゃん」
新伊達はちょっと考えた後、俺を、俺のことを見て、
「そういう変わり方がしたいんじゃないよー。灰野くんわかってないなあ」
そうか。わかってなかったか。
俺も新伊達を見て、へっへと笑って、
「わかんねっつのそんなもん」