潮風

なんていうんだろう?湾?渚?それとも海辺?それか、河口とか?
まあ、そんなところ。海に川が流れ込むところ。堤防の上のなめらかなコンクリートにぶつかって、潮風が学生服をはためかせる。
ズボンなんかつるつるのぴかぴかで、風でしわができると、その感触が足にも伝わる。
詰襟んとこのカラーも新品で硬くて、首がこすれて腫れているらしくて、海の湿気と塩気を含んだ風がしみて、羽根夫はひりひりするらしい。顔をしかめながら、襟をなじませてくたくたにしようと、もんだりつぶしたりしている。
俺は人より首が長いので、その感覚は分からない。


遠くの橋が、風で揺れている。雲が動いているのが分かる。堤防から見る雲は、なんでか知らないがいつも動いている。軽そうな雲がちぎれてばらばらになって、今日もいい天気だけど明日も晴れみたいだ。


「風強いなぁ。あほみてえに」
顔をしかめながらこっちを見る。まゆげ細いし目が細いんで、寒かったり首が痛かったりでそうなってるんだろうが、にらんでるようにしか見えない。
「あほとかゆうなや。気持ちええやろうが」
羽根夫は、あほとか言うとすぐに怒る。汚い言葉が嫌いらしい。悪い言葉を使う人間になったらあかん、心も悪くなるで。というのが口癖だ。
「いや、あほだろ実際。なんよ。なんで、入学式ん日に海見に来なかんの?男2人でよぉ。あほやろが」
「わかっとらんなぁクノは。思い出づくりやろが!高校入った日にこんなきれいに晴れとるのを、ちゃんと覚えとったらたまらんぞ。絶対」
「はーそんなもんか。ハネはロマンチックや、ってことは分かった」


ええやんかロマンええやん。とかぶちぶち言いながら、眉毛をこする。眉毛のそりあとにも、潮風がしみるみたいだ。
「眉毛そりすぎだろ。女子は絶対ビビッてた」
「あっほ、お前、こんくらいでええんやって。こんくらいしとる男がもてるんやって」
「あほ言うな」
「え、言ってねえよ」
「言ったって」
「言った?違う違う、これは愛のこもった、あほやからいいんよ」
「きれいなあほってか」
「おお」
「あほか」
「クノ〜。今のあほには愛がないで愛が」
へっへ、と笑ってみる。羽根夫も笑っている。間違えてなかったか。


しかし、4月でもこれだけ冷たい潮風をあびると寒い。
「寒いなぁ」
「ああ」
と言って、羽根夫は堤防の手すりをくぐり、さらに下に下りていく。水際ぎりぎりまで行って、ゆるい波が流れてくる先、ちょっとオレンジに染まりだした海を見て、眉毛をいじっている。
「おめえはかっこようなりたくないんか」
水際をうろうろと、下を向きながら、羽根尾が聞いた。
「もてたいかってこと?」
「んー、まあ。そうなんちゃう」
一瞬風が強く吹いた。何か思っていたのかもしれないけど、それは吹き飛んでしまった。
「よくわかんねえ」
ほんとにわかんねえんだ。
何を聞きたかったのか、羽根尾は黙ってしまった。


さあ、何を聞きたかったんだ羽根尾は?考えなくちゃな、それ。
手すりに寄りかかって、俺は海と川が光るのを見るふりをして、羽根夫を見る。
やっぱもてたいとかそういうことか?高校には俺と羽根夫みたいに同じ中学から来たやつもいるけど、ほとんどは別のとこから来た知らないやつらだ。まあ同じクラスになった何人かと挨拶したり自己紹介したりはしたけども、帰りは別のクラスの俺を誘って海なんか見に来てるわけで、そんなにいきなり仲良くなっちゃいないんだろう。んで、そんな出会いは男だけじゃなく当然女もいるわけで、男ならほっといてもいいやつは仲良くなるし、クソなやつとは話もしないし、それでいい。しかし、女は違う。羽根夫は眉整えたり、なんやらディップやらデオドラントやらつけたりしてるので、それなりに新しい女との出会いに期待している。うん。それは間違いない。しかし、あんま一目ぼれなんかはしない奴のはずだが、やたら気になる女でもいるんだろうか?いや、それなら、そのことを俺に言うだろう。その辺は黙っておけないやつだ。するってえと、うん、まだこれだ!というようなやつはいないけども、何人か気になる女がいて、今後そいつらと仲良く慣れたらいいな、という漠然とした希望、それと新しい環境でどうなっていくんだろうという漠然とした不安。そんな希望と不安がなんともいえずもやもやしている。これだろう。


ってなことを2秒くらいで考えて、んじゃ、俺はどうすりゃいいかだ。希望なんか不安なんか、羽根夫にもちゃんと分かっちゃいないんだから、励ましたりせずに、俺が羽根夫と同じようなことを思ってる、というようなことを言う。それで共感。と同時にちょっと冗談めかした方向に持っていくことで、羽根夫自身が、羽根夫と同じ状態の俺を受け入れて、なじんでいく、と、そうすりゃいいだろう。
よし、じゃあ今からそれが俺だ。それが俺の気持ちだ。


そうだな、入学式でやたら目立ってた女。
あの娘、ちょっといいと思ってんだけど、どうなるかなぁ。まだ惚れてるとかそういうんじゃないんだけど。ってな風に話題を、と思っていたら、いきなり話しかけられた。
「ちょー、あんた何してんの?」
堤防を走る車道の向こう、ピンク色の髪をした女が立っていた。唇をとがらせながら、こっちを見て。
どう反応していいか分からなくなって、動揺した俺は
「いや、海、見てんだけど」
とか返す。
落ち着け。落ち着け。考えろ。
どう接すればいいか。どんな俺であればいいか。どんな顔でどんなことをしゃべる俺を、こいつが求めているのか。


ちっ、初対面だからこいつの性格がつかめねえ。
そういえば、俺はこいつの名前も知らない。まあ、便宜上ピンクでいいや。
そのピンクが、不満なのか楽しんでるのか、唇を笑うみたいにゆがめている。おかしそうではあるのだが、目はにらんでるように鋭いままで言う。
「ふーん」
じろじろと見ている。見ているだけで何も言わないので、俺はどうしたらいいのか分からない。
羽根夫が、俺が誰かと話しているのに気づいて、堤防を上ってこようとしているみたいだ。
さて、どうすればいい?どんな俺であればいい?
困ったねこりゃどうも、とピンクから目をそらして、見えないように俺は笑った。ちょっとだけ。