昨日の今日。明日は今日。…いや。……違うって。ジョーじゃないったら!

昨日バイト前に書いて、バイトあけて今で特に書くこともない。
なら書かなきゃいいんだが、三日連続書いた!というとすごく暇そうでだらしなくて、よい。ので、さあ書こう。
コメントがつくと嬉しいね。

話は変わって、今年はまだ芝居を見に行っていない。
キーワードに登録されてないか見るためだけに書いてしまうが、劇団、本谷有希子*1の公演は毎公演行ってる。毎公演、変化を見たくなる。ナイロン100℃もそうですね。
他には、人から誘われたとか理由がないと気に入ってもなかなか行かない。でも、新年一発目くらい、決めてみよう。
さて、最初ははずさないように、以前見て面白かったとこに行きたいな。
劇団本谷有希子?五月だ。新年一発目、だっつの。
五月まで待つか?
いやいや。
猫のホテルかなー。あ、遊園地再生事業団がやってるじゃん!
よし、見に行くとしよう。


というわけで、無事決定しました。
こんなものを読まされて大変不愉快だと思いますが、ネタを思いつきましたので、さらに不愉快な論考を発表せしむることにいたします。


昨日はちょっとネットサーフィンなどして、人の日記を読み、ああ、自分の日記はうっとうしいぐだぐだとしたものを書き連ねているものだなあ、分かって書いていたのだけど、他人の書く日記というのは簡潔でありながらそれぞれに見所があり、人徳あるいはニーズに対してのサービス精神といったものがそこかしこから感じられる。それらはエンターテイメントに必要なものであり、エンターテイメントしているよ。すばらしいことだなぁ。

などと思っていたところ、その中で大変素直でリサーチもされており、おもしろい読み物であるのだが、僕が個人的な理由から疑問を感じてしまう記述を見つけた。

その文章は歌手・川本真琴について書かれていた。
禁転載とあったので、俺の読み取ったその文章の要約を書かせていただく。


「歌手・川本真琴は、かつてアニメまたはドラマの主題歌などを担い、音楽番組などにも出、盛んに活動していたものだけども、最近はとんと噂を聞かない。
しかし、どうやら世間の男子には、未だ歌手・川本真琴の歌を大変好んで聞くものがいる。
そのような人物に対して、拙は若干の不快を感じる。
なぜかと言えば、歌手・川本真琴の音楽は、盛んに活動していた時期ちょっと聞いたところによると、10代あるいは20代の、世のさまざまな身分・損得といったものから生じる関係に未だ縛られていない年頃の男女における、憧れや恋愛などの不確かさ、あるいは激しさ、それらの移ろい、について歌っているようだ。それらは主に心の動きについての話であり、肉体にまつわる関係性の描写は希薄なように思われる。しかしながら、拙が歌手・川本真琴本人について感じるのは、心情においては細やかながら、実際男女の関係における肉体の部分において、非常に大雑把、というか大胆であり、そうでありつつそのような関係を嫌っているような言説、そぶりをみせる、そのような姿である。
そのような、歌手・川本真琴を愛好する男子というのは、女子に対して実際にそぐわない思い違いをしており、それらは音楽に対する趣味・好み以外の面でも感じられるように思われる。」


このような内容であった。
この文章を著述者がサイト上で発表したところ、多くの反応があり、それらの半分以上が男性からのもの。そのうち、一人を除く全員が、「自分は川本真琴を愛好しているが、貴の思われるような男性ではない」と主張していたそうな。

あー、もうまわりくどく書くのやめると、著述者は、「川本真琴好きな男はオタクっぽいし、何か気持ち悪い」と書き、それに対して「俺は川本真琴好きだけどオタクじゃねえぞ。川本真琴馬鹿にすんな!」とたくさんのメールが来たそうで。

俺も気持ち悪いという意見に同意するし、一昨年川本真琴のライブに行ったら、根強くオタクばっかりだったでぎゅうぎゅうで大変嫌な思いをした。でも、川本真琴をライブに行くくらい好きだし、年末はほぼ毎日クリップ集見てたし、ってことは俺も気持ち悪いオタクの側のほうで、……あれ?
それは嫌だ。
なので、ちょっと言い訳してみよう、と勝手に思ったんでした。
はい、ここまでが前置きね。

著述者の方は川本真琴の曲のうち、メジャーなものしか聴いたことがないそうで、一方こちらはアルバムは2枚とも持っており、その上クリップ集をヘビーローテーションでリピートしているため、川本真琴に対する印象に若干の齟齬があるように思う。
著述者は川本真琴を、第二次性長期前の乙女のごとき恋愛のせつなさを歌いつつセックスは嫌いというポーズ→でも実は猿のごとくやっていそう、と評しており、周囲の女性からも同意を得ているのだそうだ。
「愛の才能」の

届かない これって最高の1cm

とか、「1/2」の

境界線みたいな体が邪魔だね どっかへ行っちゃえこんなのさぁ

とかからの印象かな。
で、そんな女が好きって純情なロリコンかそれでもSEXしてるんだと想像する妄想たくましいロリコンか、どっちかだよね気持ち悪い、と語る。

で、俺は川本真琴について、乙女ぶりぶりせつなさきゅんきゅんその上エロいってな歌手ではない、と思う。なんかsex好きそうだとは思うが。

川本真琴は、なんつーか、恋愛をしているときの不安とか高まりとか、そのぎりぎりの、一歩間違えたとこまで行くと狂っちゃうようなところまで行ってしまう天分と、それを傍から見て音楽的に構成する冷静を兼ね備えた人で、その第二次成長前というか未成熟なイメージを漂わせながら、その肉体はSEXを知っているということ。そのアンバランスが魅力なんだと思う。

例証すると、さっき引用した歌詞はフリルのひらひらの服とかセーラー服の女の子のイメージを喚起しながらも、軒下の洗濯物、花の咲かない観葉植物、といった生活の中で、ふと一瞬だけ思ってしまったどうしようもないこと、と僕は感じる。
また、川本真琴のクリップ集では「愛の才能」は川本とカメラの間を、サングラスをかけた多数の男女が横切り続ける向こうで歌うといった映像であり、「1/2」に至っては、ハンディカメラに向かって踊り狂う川本の背面から正規のカメラがハンディのカメラマンもろとも川本を捉える、という何がなんだか分からない映像である。
さらに、「桜」では白いレースのカーテンの部屋でふわっとしたドレスの川本がピアノを弾くという、ロリータ趣味を感じる映像であるが、途中カフェで不機嫌な顔で多種の料理をえんえん食べ続ける川本、というカットが展開され、アングルが部屋に戻ると曲の高まりと共にいらだちと悲しみを増しながら、川本はピアノを弾き続ける。
これらにある程度共通するのは、乙女ぶりぶりせつなさきゅんきゅんに憧れ、思い出しながら、自分はもうそうではないのだ、という悲しみ、かなと思う。



あんまり素直な聞き方じゃないのかもしれない。
ま、俺はこんなんとかまたそれとは違った風に、こぼれ落ちたり届かなかったりする川本真琴が大好き。


はい。今日も長すぎて飛ばして読む人にまとめだよ。
俺はロリコンじゃねえ!

*1:登録されてました