{すごいぞ!強いぞ!た・な・か!}田中宏神話進化論仮説

http://d.hatena.ne.jp/sfll/20060601#p3を更に整理。

BAD BOYS」=ヤンキー群像劇

  • 読んだトキないから勘。
  • 田中がコノ時点で、「主役以前の世代」への目線があることに注目してみた。純粋なヤンキーマンガでは結構排除されがちなんじゃないか。(「CLOSE」とかは意図的に<舞台から降りた>人物は登場せず、ヤンキー時代の伝説だけが残っている)
  • だから読んでないんだけど。

BAD BOYS グレアー」=ヤンキー群像劇+ヤンキーへのアンチテーゼ

  • ヤンキー的青春を<美しくおもしろおかしいもの>として描きつつ、あまりに美化することを否定する。
  • ヤンキーへの<賛>と<否>、両方のバランスがすばらしい。
  • 世代への目線は推し進められ、「ヤンキーが伝説だった時代」「その息子、または生まれ変わり(血縁の因果と不良の栄枯盛衰が重なり、しかし、やり直せる。変われる)」「新たな世代の胎動」が進行する。それが現行世代の変化と同期している。
  • こういうのを<神話的>って言っていいのかな?<源物語的>とか?最初に連想したのはゼウス神話。

莫逆家族」=ヤンキー群像劇+ヤンキーへのアンチテーゼ+ヤンキーと共同体

  • 舞台が広島から離れる。なぜか?広島で共同体に許され、溶け込んでいった、元ヤンキーだが、そうもいかなかった場合。普遍性/郊外論。
  • 例えてみよう。『「グレアー」―楽園に生きるものが、いつかは楽園を出なくてはいけない/しかし、楽園を出て、神をなくしてなお、信仰に生きようと決意する話=パラダイス・ロスト』に対して、『「莫逆家族」−楽園を出でし子らは信仰を失う/もう一度信仰を取り戻すために、楽園を再生しようとする/同じ楽園に生きた者達が、二つの楽園に別れ、争う/楽園を出でし子らの子、楽園を知らぬ子が、信仰を再解釈する。楽園ではない、悲劇に満ちた”ココ”で、信仰に沿って生きる=ルネッサンス』とかなんとか。
  • 同時に、郊外論。90年代における隣人の狂気
  • 俺メモ。もう一本軸が欲しい。なんだろう?

女神の鬼」=ヤンキー群像劇+ヤンキーへのアンチテーゼ?+ヤンキーと共同体+ヤンキーに”なる”て何?(超推測)

  • 少年期より始まる。回想ではない。
  • まず主人公は弱い。しかし<王様>になろうとする。主人公のまわりには、<王様>になりたい、主人公より強い奴らがたくさんいる。
  • 田中宏にとって、既に暴走族は一つの神話であり、楽園。それとは違う形で、楽園を、王国を作ろうとする話か?という推測。
  • そこがメタだ!神話解体っつーかなんつーか。田中マンガの、もっと言えばヤンキーマンガの成立を辿るのかなー、っつって。
  • 正直それをメタ構造というのか自信がない。


そろそろ総論は終わりで、各論に移っていきたい。
BAD BOYS」連載中に「莫逆家族」が始まった、ということを今調べて発見した。びっくり。
以前に「グレアー」と「BAD BOYS」が変奏曲だと書いたけど、今まとめてて、「グレアー」と「莫逆家族」を変奏曲と考えたほうがしっくりくると思った。連載時期的にも、そういうことなんかもしらん。


足し算って無理あるなー。でも俺バカやから他のやりかたしらんとや。足し算も桁が大きくなると、もうよー知らん。わてほんまによう言わんわ。