百万回死んだ猫と一度だけ間に合わなかった男

というフレーズが頭にこびりついて、
というイメージに阻害されてしまう。


物語が生まれる。そうしてその物語以外何もまともに考えられなくなる。
ゆるいカーブの内側の排水溝。傘をさすほどじゃない雨。死んだ猫。猫の死。猫の死だけを幻視として予知する男。猫の死をみとる男。
ゆるやかな老いと100万の猫の遺言。「ぼくのめはみえなかったけど…」「そこにはひかりっていうのがあるでしょ?」「あたたかい。とてもあたたかいひざ」「だれもいないところで」「かまぼこはおいしいです」「たべたら4じかんはじっとしてたい」「ちゃくちする」「はやくはしる」「ねむっておきたらこっちみてた。にこにこしてるんだ」「びっくりした」「きえる」「きえる」「いたい」「ぼくのけがあかい」「おなかのなかにだれかいる」「さむい」「とてもさむくて、あたたかい」「ねむるよ」「ぼくがねる」「おやすみ」「さよなら」
遺言が終わる。男は猫を埋める。


ちらついて消えない、その物語を。
俺は形にすることができない。ちっとも形に集まることがない。
テクニックの問題なのかな?俺はわり算を知ってるのに、割りきれないんだ。
それでもいつか忘れていく物語を、俺は忘れないよって。
こうして。