梨木香歩が怖い

以下の文章からは、少女漫画汁が検出されました。
レベルZ。危険な濃度です。
抗体のない方の服用は、お控えください。






怖いものはたくさんある。


ウォシュレットとかコンタクトレンズとか、それを試したら変わってしまいそうで、今までと同じようにはいれない気がして、怖いんだ。


怖い本もたくさんある。


小川洋子姫野カオルコが、女であること、性的であることを表現した小説を、いつも本屋で手にとって、2,3ページ読んでは、血管を流れる血の音が聞こえる。それを止めようと唇をかむ。息を止めて、ずっとこらえて、いつまでもその場にとどまるのが恥ずかしくなって、棚に戻す。


中場利一の想像する、自分の周りにいる女たちの男を見る目は、呼吸が止まるほど逃げ場がなくて、でも男たちはそんなこと関係なく暴れまわって、逃げることを忘れている。


ジョージ朝倉のマンガを読み始めると、どこでやめればいいのか分からなくなる。何をやめればいいのかも分からない。


そんな、怖い本をまた見つけてしまった。
電車で遠出をしたときに、古本屋で買った梨木香歩「エンジェル エンジェル エンジェル」。エンジェル エンジェル エンジェル (新潮文庫)



4章あたりまで読んで、予感がした。
怖い。この本は怖いに違いない。
周りの人を見て、その不安を別の不安にすりかえるように、家に帰った。


好きな小説では、描かれている人物の思考に入り込んで、重ね合わせるように読むときがある。
そうして読んだとき、うまく波に、お話の波に乗れるような小説は優しいな、と思う。愛することを恐れない優しさ。
入り込まないように、少し離れたところで見させてくれるような小説も、優しい。ぶっきらぼうな優しさ。


しかし、重ね合わせる気持ちが、お話の波を追いかけても追いつけない。
似ているけれど、優しいのだけれど、そんな小説は怖い。
怖いんだなぁ、ということを知った。


それは、ラッピングがほどかれないプレゼントのようで、裏返しに貼られた写真のようで、探しても見つからなかった星座のようで、そして、何を話していいか分からなくて、「好きだ」と言ってしまった後の、言葉が出てこない帰り道を一緒に歩いているみたいだった。