デレレレドゥダッタディンダンダーン、なんてミュージック。

さらに昨日の話。
誕生日プレゼントを探して、ヴィレッジバンガードなどをうろついた。
おしゃれ製品を探して、ではなく、案外と実用的な製品も置いてあるので。
プレゼントには実用的なもんの方がいいだろう、と思ったんだ。


岡田あーみんのマンガが増刷したのか、平積みしてあった。
ヴィレッジバンガードで、ビジネス入門書を熟読してる男はいいビジネスはできないよ。
って、そういう話ではない。


音楽が、なっていたのだ。
ヴィレッジバンガラーのみなさんはよくご存知だと思うが、店員お勧めの、おしゃれでヒップな音楽が店内ではかけられている。
レジ内にあるステレオマシーンに、「聞かせたい音楽じゃなく、売りたい音楽をかけましょう!」って業務連絡が書いてあったりする。


具体的な音楽産業従事者名は、うまくあげられないのだけど、それらの音楽を並べると、なにやらそこには、ある種の志向性がある。ヴィレッジっぽさ、とでもいうのか。なんなのか。


その志向性、または雰囲気などを、うまく言葉にできる人が確実に存在する。
今日はそのような人たちの話。


歴史性と同時代性という位置づけ。オマージュ・リスペクト・レペゼンなどといわれるもの。


演奏者が発信する、
「俺このバンド好きですよー」
「この人にめちゃくちゃ影響受けて」
ってな、ロキーンオンジャパーンの○万字インタビューのごたる意思表明。
また、ライナーノーツでの、
「彼らは、その青春時代、西海岸で○○を聞いて育った」
「そのポップなメロディーセンスは、70年代のムーブメントを想像させる」
などの煽り文句。


これが、音楽の歴史性であり、意識的にしろ無意識的にしろ、お互いの関連は、なーんとなく音を聞いてみれば、思い当たらないでもない。
マリスミゼル平沢進をロックの神様だと思ってる、と言われれば、「ああそう言えば、なるほどねえ」ってなもんである。(古い記憶なんで微妙だけど、多分事実)


それに対して、同時代性というもの。
マリスミゼルで言うなら、近所にはGLAYがいるかと思うと、そこでは小室ファミリーがミリオンミリオン叫び、全然関係ないところにゆらゆら帝国がジャカジャカ鳴らし、ラジオからは小沢ケンジが聞こえてくる世界。
そんなぐじゃぐじゃな世界。


それでも、そこには住み分けがあり、音楽を聴く人はレーベルやレコード店での棚割や帯でコメントする者への、イメージがあり、信頼みたいなものがあった。
そして、ミュージシャンには、他のミュージシャンへの理解が、侮蔑が、賞賛が、嫌悪があった。


そんな時代を飲み込んで、彼らはどうだったのか、というレコード評を書ける人がうらやましい。いいなぁそれ。


いいんだよ。もうお前にとっての79年とか、聞きたくねえんだよ。


ネットも含めて、多くの情報発信源がある今、どうしてお前にとって79年が重要になったのか。を、歴史性でではなく、同時代性で、正しく書くことができないと、つまんねえぜ。
そんな時代にどうしてなったのか、じゃないんだ。そんな時代にはどんな音楽がなっていたのか、ってことが、音楽を聞こうとしている、頭でっかちどもに、ようやく伝わるかもしれない言葉なんじゃねえの。ええ、おめえら。


なんて、俺がそうなりたいって話を、おまえらに押し付けて、終わるぜバッキャローイ!