今月は

ゲームは買わずに、マンガをいろいろ買うことに。
かわかみじゅんこ「パリパリ伝説」と吉野朔美「period」。



吉野朔美は、少女マンガの手法を踏襲しつつ、これまでのマンガ表現から異化した新しい形式を構築しようとしているんではないか?
なんて思う、その印象について。


そう。「period」は細部にいたるまで綿密に、気持ち悪い。気持ち悪いことが恐ろしい。けれど、愛に満ちている。
そのような、気持ち悪いと感じる描写。恐ろしいと感じる描写。愛に満ちていると感じる描写。そのほかありとあらゆる描写。
そしてその描写を感じる感性。不安定で素直な、子供たちの感性。かたくなだが、変わっていく大人たちの感性。
それらが物語を作っていくことは、すさまじい。
その部品で物語を作れる、ということ。その物語が現実に似て、痛々しいものであること。それでも、何かを信じている物語であること。
そんなことができるなんて、知らなかったんだ。

こんな面白いマンガを連載してると、雑誌で読むのがもったいなくて、「IKKI」買いたくなくなるのは、ご愛嬌。



かわかみじゅんこ。「ワレワレは」をマンキツで読んで、たとえば「病的」とか「鬱」とか、ま、マイナス面に限らず、主観なんてのは捉え方しだいで、過剰にポエティックだったりする主観。
これは少女マンガが、たぶん萩尾望都なんかが、それまでの漫画ってものから産まれるときに組み込んだ最大の特徴で、少女マンガと不可分。命って言っても、少女の人に怒られない?怒られないよね?
けれど「ワレワレは」では、主観をほとんど抜きにして(たぶん意識的に排除している)、ロマンティックで元気でおもしろい。
それは、しんどくてしかたない宵闇の日に、ネットやらゲームで発散するのは簡単かもしれないけど、なくなりはしない気持ちに対して、正しく立ち向かう方法だと思う。あ、パンクはそのまったく逆ね。正しくない方法。ふざける方法。
ま、パンクのこたともかく、「ワレワレは」。実によかった。


で、「パリパリ伝説」。著者がパリに移住したり、インドに旅行したり、そんな旅マンガ。
「ワレワレは」で感じた、正しさ、その気持ちよさってのは、どうやら旅で培われたものらしい。ということを読んで思った。
いろんなとこに旅して、いろんなものを傍観者として書いてる感触。その、面白がるときの姿勢がつながっているみたいな。パンクロックでは、自分も含めてすべてを徹底して傍観していくところを、傍観した目を持ちながら愛していこう、ってな姿勢。

あと、絵の描き方がぜんぜん違って、びっくり。



忘れちゃいけない。田丸浩二「ラブやん」一気読み。田丸センセイはたまらねえ!三国一の天才じゃ!
するするとひっかかりなく読めるお笑いマンガが書けるのは、偉大です。