イマジネーション資本論

発祥持ちのnetworkerって強いなぁと思うわけです、やっぱり。因果持ちとも言いましょう。由来があって、俺がある。目の前にいない由来の奴を殴ることはできませんから。わけいってもわけいっても歴史の闇。思考言語レベルでインスパイアというのは、由来×想像力×タイミング=破壊力の公式の通り、いつの世もコンスタントに強い。
されど、強けりゃいいのか?強さを求めるのは SAGA ですが、強さのみを求めるのは BAKA。ヤーヤーヤヤーヤーは DEAR。



思考言語の変更ってのは容易じゃない。「YO!EじゃなーいなんてHIPHOPノリーな」てわけにはいきません。
「由来君と一緒に帰って、噂になったら恥ずかしいし…」
魂は恥ずかしがり屋なので、由来を見抜かれるのを恐れます。いわゆる真の名。非モテと刻印して後顧を憂えぬ、露出playerもおりますが、それはまた別の文脈。家に帰るまでが遠足ならば、俺は行ったきり帰ってきません。暴論を先に進めます。何か質問はありますか?聞きません。


例えば、思考言語次第で現実なんて消せるのはご存知ですよね?

「ここに取りい出しましたる、ハイこの現実。お客さん、さわってみて。間違いなく現実ですね?ハイ、どこにでもあるこの現実を、これまたどこにでもあるキーボードでタイプすると、ハイ消えました。種も仕掛けもありません。あるのは現実だけ(笑)その現実もどこにも……あれ?お客さん。そのmixiの中にあるのは……現実です!ここにあった現実がいつのまにかあちらへ。お客さんマジシャンですか?(笑)マジシャンは私でございます。不思議に思われたお客さんは、ハイ、こちらの帽子へ小銭をチャラリ。拍手に見立てて鳴らしてくださいませ!小銭がなければ、どうぞお札を!毎晩お札のニオイを嗅いで遊びます!どうぞこちらへ!」

ここで使われてるトリックは

  • 現実は触れない
  • mixiの中にあるものを人は現実と思い込む

の二点です。
由来のない俺のトリックはこの程度ですが、神様が「思わず拙者のバベルも崩壊」と言った日以来、古今東西で想像力がガッチンコして、人は現実を出したり消したりハッスルピストンしています。
しかれども、人の想像力は300円以内。計画的な想像力の資産運用のために、人は由来を生み出しました。想像力市場社会の誕生。<想像力>資産を<由来>株式にぶっこむことで、結論の先物買い・倫理投資信託などの、今日の言論資本主義社会を支える制度の雛形となりました。
想像力格差社会や想像力共産主義の話は、なんかやる気がないので割愛します。あ、それはまた別の文脈。大丈夫!それはまた別の文脈だよ!


ここで人類史上未曾有のうっとうしさ、<私>が登場。<私>の想像力に由来があろうが、オリジナリティは<私>のものですよ。由来否定型の超大規模由来が世間を席巻し、想像力の高利貸し商がボコボコ勃興。
カウンターであるところの80年代「分かるやつにだけ分かる由来が面白い」、オリジナリティ弱者による90年代「由来は関係ない。あるがままの<私>が愛したり愛されたりさせろ」を経て、現代へ至るわけですが、現代も<私>も知ったことじゃありません。


人生に必要な全ては幼稚園の砂場で学ぶのではなく、砂場で何ができるかを想像する下校の道で捏造するものです。
どのような想像力でありたいか。
どのような思考言語でありたいか。
それをそのままtypeすれば、こういうblogになるわけです。


歴史は常に途中で、由来は所詮瞬間です。時間変化が知りたくて積分方程式を学んでも、だいたいいつも演算途中だったりします。特に結論はありませんが、いつだって途中です。
この曲と一緒にお別れしましょう。ワールドエンドplus無理で『Do・De・Mo・E〜♪』