小説DEATH NOTE 第二部「黒革の手帖」

http://neo.g.hatena.ne.jp/xx-internet/20060521/p1


続けて、このような文章が綴られている。

DEATH NOTEの切れ端を世界中にばらまいた人物。――『キラ』。
『キラ』が、全世界の人々に声明を発した理由。巧妙に姿を隠していたこれまでから一転し、新世界の神を自称した理由。
それは、若さだったのかもしれない。『キラ』は――夜神月は、驚くべきことに当時まだ高校生だった。完璧と言うべき計画を立案した若き天才の頭脳は、少しだけ、調子に乗ってしまったのだった。キラこと夜神月が、DEATH NOTEと死神と出会った後、(実験のため、死刑囚を殺したのを除いて)初めて自らの手でDEATH NOTEを使ったのは、この時である。そしてキラは、後世から見れば迂闊と言う他ない声明ゆえに、世界最高の探偵『L』との対決へと流されていく。
死神にも操れぬ、宿命の対決は、この日、火蓋を落とされたのだった。


鴨鵜は子供の頃から小説を書きたかった。
ふと思いついてしまう空想。もし。こうだったらいいのに。
それを書き続けて暮らしていたかった。


とはいえ鴨鵜は、小説を書くことを生業とするには致命的な己の弱点を理解していた。
(――俺は、書いたものを見られるのが恥ずかしくてたまらない)
想像力を膨らませずにはいられないのだが、それを人に見られることを極端に恐れていた。
克服しようという努力はした。blog上で虚構を発表してみたが、しかし、鴨鵜は鴨鵜であることを隠したいわけではない。すぐさまアカウントを消去した。同人誌を作ってみた。配送されたその日に焼却した。そのうちデータとして残るのも嫌になり、ハードディスクを粉砕した。


しかし想像は止められなかった。
鴨鵜は某新聞社の記者の職を得た。想像を排して事実のみを書くことなら、抵抗はなかった。予断を決して介さぬよう記事を書くため、むしろ優秀な記者であるといえた。
鴨鵜の想像は、彼の手帖にのみ記されるようになった。

"この事件の後、犯人は「俺は、俺を肯定する」とカメラの前で叫び、マシンガンを乱射しつつ逃走し――"
"地盤沈下と思われていた災害はと称する存在に集められた、普通の人間に見ることのできない死者達が――"

電子データで入稿される記事には書かれない想像の記述は、鎖で鴨鵜の体と結ばれ、片時も手放さない手帖にのみ書かれた。彼の勤務する新聞社の、ある俳句に明るい老社員は、こんな句を読んだ。

「大庭で 息を潜める 鶫かな」」

鴨鵜をひどく猜疑心の強い鳥である鶫になぞらえた句だが、老社員の周りには、鴨鵜も含めて――、誰も意味を解する者はいなかった。老社員もまた、若干痴呆が進んでいたため、詠んだ2秒後に句のことを忘れた。


"書かれたことが現実に起こる手帖"は、鴨鵜が道端で拾ったものだった。
鴨鵜が拾ったとき、手帖にはまだ何も書かれていなかった。その日の取材が思いがけず長くなり、現在の手帖のページが心許なかった鴨鵜は、その手帖を着服し、予備の鎖で体と繋げた。
次の取材先で、鴨鵜は新しい手帖にこんな妄想を紛れ込ませた。

犯人であるシェフは、という究極の料理を完成させるために犯行を……

デスノートの断片を用いた殺人では、犯人を特定することが非常に難しい。
実際に犯人はシェフであり、またDCSという料理をめぐっての意見の対立が犯行の動機であった。しかし、DCSとは、daurade cervelle sauter(鯛の脳髄のソテー)のことであり、ドーピング・コンソメ・スープなどと言うものは実在しなかった。そのはずだった。
「DCSとは、<ドーピング・コンソメ・スープ>のことだったんだよ…ッ!」「なんだよッ!<ドーピング・コンソメ・スープ>って!?」「これが、<ドーピング・コンソメ・スープ>だ!!」「な、なんだってーッ!」というコラージュがネット上に出回り、ちょっとした都市伝説として騒がれたにすぎなかった。


鴨鵜は驚いた。鴨鵜が取材した時、まだ犯人が判っていたわけではなかった。ただ被害者の勤務する店の看板料理 daurade cervelle sauterから、発想を膨らませてみただけだ。ドーピング・コンソメ・スープなんてものは、どこにも存在しない。それを同じように思いつくものがいるとは…。
まだまだだなと苦笑し、想像はよりありえないことにしよう、と鴨鵜は心がけた。


"人体で作られた<赤い箱>。それは……"
確かに警察に<赤い箱>が送りつけられる事件はあったが、中身は爆弾だった。テロ事件として犯人は逮捕され、現実はそれで終わった。
しかし、ある分別のなさで知られるペーパーバック作家が、<赤い箱事件を題材にした血煙ノワール!>と銘打った小説を出版した。それは、人体でできた<赤い箱>と犯人の孤独を絡めつつ、とにかく血が流れまくる小説だった。


頭の中身が盗み出されている、そう思えるほど自尊心の高い鴨鵜ではない。
少し苦笑し、次は誰も思いつかない想像を、と己を諌めた。


"人の脳みそを揺さぶる<歌姫>の歌には……"
人気歌手の周辺で起きた事件の捜査は、よくあるデスノート事件の一つとして滞りなく解決した。
ただ、その後発表された彼女の新曲が、それまでと違い、エキセントリックな中毒性があり、ネット上で「脳みそゆさぶり」と話題になり、多くの MAD MOVIEが作られた。
ひょっとして、と鴨鵜は思った。ありえない想像だったが、それを言えば鴨鵜が手帖に記しているのもそうである。ただ、その空想は、ちょっといいな。と思った。もしそうならば――。
鴨鵜は実験をしてみることにした


鴨鵜は小説を書くことにした。全世界を読者にした小説を。
最初の一文は、こう書いた。

遂に日の目を見なかったとはいえ、警察組織によるデスノート事件の調査はひっそりと、だが精力的に行われていた。

デスノートがばらまかれる世界でも、人は空想をやめられない。

小説 DEATH NOTE 第三部 「それから」

デスノートの断片は未だばらまかれ、世界は疑心に包まれている。
そんな中、マンガ『DEATH NOTE』の連載は始まった。

この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件と関係はありません。

DEATH NOTE』を題材にしたマンガは、実際にデスノートの脅威に震える世界で大きな話題となった。
なにしろ、デスノート所持者であるキラの栄光と没落が滑稽に描かれているのだ。こんなことを描いたらキラに殺される。
いやしかし、実はこれは本当のキラの話なのではないか?
むしろキラ本人が書いているのでは?


様々な憶測が飛び交い、いまやデスノートによって瓦解しかけていた政府・警察、あるいは報道機関、不謹慎だと訴えるデスノート被害者の遺族およびデスノート教信者(このときだけは、両者が強調した行動を見せた)、そして興味本位の人々が、デスノートを手に作者を探した。
作画担当の漫画家の素性はすぐに割れ、デスノートの断片によって殺された。しかし別の漫画家の手でデスノートは続いた。マンガ『DEATH NOTE』の絵の質は常に高く、それほどのマンガを描く漫画家は既にどこかでマンガを発表したことがあるもので、細かい癖やタッチはいくら隠しても隠し通すことはできずに、計16度、『DEATH NOTE』の作画担当は殺された。それでもマンガ家達は、つかれたように『DEATH NOTE』の作画を勤めた。ジャンプ連載陣はほぼ全滅したが、出版社の垣根を越えて、人気漫画家たちは『DEATH NOTE』を描いた。
そして、原作者は見つからなかった。


警察による、拷問やデスノートを用いた恫喝、デスノートによると思われる死を潜り抜け、生き延びた編集者はこう声明を発した。
「『DEATH NOTE』の原作は、ありとあらゆる手段で編集部に届けられた。まるで本物のデスノートと同じように」


編集部の拘束や印刷所・取次拠点の制圧も、政府や警察が機能を失いかけていたために、また一般民はデスノートへの恐れからか組織化された行動に至らなかったために、幾度かの失敗の後、沈静化した。
むしろ『DEATH NOTE』が連載されなかった週に、暴徒が発生し、匿名政府には諸外国の問い合わせがあいついだ。


世界はいま、『DEATH NOTE』を毎週楽しみにしていた。

小説 DEATH NOTE 第四部「千の小説とバックベアード」

鴨鵜は――、大場つぐみとクレジットされている人物ではない。彼は鴨鵜がでっちあげたカリカチュアとしての作者だ。鴨鵜は創作者として認められたかったわけではない。ただ創作をしたかったのだ。
鴨鵜は、笑っている。笑いがとまらない。
静かな生活を信条とする鴨鵜でさえ、ばらまかれたデスノートによって多くのものを失った。


けれど。
それでも。
デスノートという<システム>は、想像力を駆り立てる。
人は死ぬ。
現実は変わる。
それがどうした。
現実よりも空想のほうが――、愉快じゃないか。


DEATH NOTE』は完結した。一人の人間、キラの行き着いた先を描いて。
現実では、未だデスノートが蔓延している。『DEATH NOTE』は現実のデスノートの脅威や細かいルールを反映していない、との批判もあった。鴨鵜は少し反省した。なにしろ鴨鵜の空想は、時には小説として、時にはマンガとして、ゲーム・アニメ・映画として、時には都市伝説として、鴨鵜の空想そのままではなく、世に現れる。若干鴨鵜の意図と外れたものになることさえあった。「何を空想したのか」説明しておくべきだろう。


鴨鵜は再びblogを始める。鴨鵜の発想メモとして。また鴨鵜の作品の解説として。そこで小説を書くこともあった。たまには手帖以外に小説を書くのもよいものだ。
鴨鵜は今、id:xx-internetと名乗っている。

小説 DEATH NOTE 第零部 「魔法少女☆はてなちゃん」

「きゃ〜!いや〜ん!どうしよぅ困ったよぅ」
「どうしたパンツ、はてなちゃん?」
「聞いてよマスコットのパンツ!…あたし、"書いたことが現実になる"『魔法のはてなアイディアノート』を落としちゃったの〜」
「ええ!今日もらったばかりの、魔法少女の証であるあのノートをパンツ?はてなちゃんはドジっ子にも程があるパンツ」
「どうしよ〜。このままじゃ、はてなユーザーの要望が叶えられなくてみんな困っちゃうよぅ。CEOに怒られる〜」
((空に浮かんでキラキラ光る、笑顔のCEOが優しく語りかける。「はてなちゃん、大丈夫だよ。大事なのはハートさ!」)
「そうよね!はてなユーザーはみんな、綺麗なハートを持っているから、魔法なんてなくても大丈夫!」
「まぁあのノート、ほんとは想像の50%しかリリースしないから、あんまり役に立たないパンツ」
「こらー!はてなを侮辱するとおしっこもらしちゃうよ!そして洗わないよ!」
「ひえーいろんな意味でやめて欲しいパンツ。でもはてなちゃん。それじゃはてなちゃんは明日から無職だパンツ」
「大丈夫!なんとかなるなる!マハリク・マクハリ・ヤンバラバラバラァ〜ッ!」
はてなちゃん楽天家っぷりには困ったもんでパンツ〜。とほほ〜」


その後、はてなちゃんは死んだ。悪意なきはてなユーザーが、はてなちゃんを愛するがゆえに、DEATH NOTEの断片とに、そうとは知らずその名を書いたためである。

はてなちゃん萌え

愛は時に凶器で、それ以外は狂気だ。