文学フリマで無理なく自然に幸福を8倍にする折本の畳みかた

夜のしじま、寝ようとしてもこのまま眠れないんじゃあって思ったまま寝てるいつのまにか。あのね、なんかね、あまねく流れゆく時に手をこまねいていたら、もうあっというまに冬。すまねぇすまねぇ。こまんねこの余裕と暇ねぇ日々ですよ。深山ネイティブの見よう見まねの結果、西表山猫のごとく怯まねえ。ものまね王座のごとく絶え間ねえ。島根に招かれてたまねぎを掘りだしたら、ほら見て。これがマネーの虎の穴だよ。ストップ!ここでマネタイズタイム終了です!では問題。文中に含まれる「マネー」の数を数えた結果、太郎くんは今何円持っているでしょう?答えは一銭にもなりませんでした。


半年ぶりのご無沙汰。
前回の更新は文学フリマの告知でしたが、今回の更新も文学フリマの告知です。すごい!一貫性!


12/6(日)、第九回文学フリマにサークル名「BWN」(Bloggers Write Novelの略です)にて参加します。
http://bwn.g.hatena.ne.jp/keyword/8P
企画の詳細はこちらです。
http://d.hatena.ne.jp/extramegane/20091119/1258632173
ちなみに参加するのはこちらの方です。

あれ?俺どこ行った?もしもしあたし性病ちゃん、今自分を探しているの……。ということで、赤と白のボーダーシャツだらけのメガネ野郎だらけの国にやってきたのですが、気をつけて!偽者はよく見たら、ボーダーシャツじゃなくて素肌に色を塗っているのじゃ!そ、その声は老師!ふりかえるとそこにはやっぱり、赤と白のボーダーシャツ。あなたもまた、特別な存在だったのです。あれ?違うな。特別な存在じゃない。これはただのヒゲだ。

折本を知らないのでうまく文学できないうっかりさんの場合

なんか漠然と文学フリマというのに参加したいなーみたいなことを考えながらうとうとしてしまうのでヒゲを抜いて目を覚ましたりしているのですが、なんで?って聞かれるとさっき言ったじゃん漠然としてるって。天は天の下にしか人を造らなかったと聞きますが、じゃあ人はその立つ土地を金で造りました。これが、それでも金は廻っている、で有名であるところの資本主義経済です。

これからちょっと頭よさそうなことを言いますが、世の中というのはだいたい漠然としている。はっきり言ってわけがわからない。だいたいなんだわかるって。クイズの答えは知っているだし、気持ちをくみとるのは共感だ。仕組みに納得するのも、嘘を嘘と見抜くのも、わかるとは違うのではないか。もしも表現された何かがあって、じゃあその何って何だろう。わからない。わからないからつい、推測をする。推測の出来がいいと脳のどこかがキュッとしたり、トロリと溢れたりする。じゃあそのキュッとかトロリが、わかるなのか?そこがわからない。このようにして、文学が何なのかわからなくてもしょうがないということが完璧に証明されたので、うん、しょうがないよね。

そんでじゃあ俺どうしよう?あ、ヒゲ生やすよヒゲ。ヒゲって文学かなー?とか考えてたら、なんともう当日まで一週間くらいだそうです。困った。あとしんどい。なんか出掛けるのとかしんどい。あと金がない。
これじゃ文学どころじゃないや。とほほほほ。

折本を活用してかしこく文学するしっかりさんの場合

文学って何だろう?知るか!そんなときだってちょお安心なwebサービスがあるんですって!
http://8p.dip.jp/
あらやだすごい!
http://d.hatena.ne.jp/masapguin/20091127/1259305525
こちらの方が作りました。

上記のwebサービスを使えば、あとは何かしら文章を入力すれば文学ができるところまでこぎつけました。文章かヒゲかなんて些細な違いじゃないかと考えますが、ヒゲを入力する方法がちょっとよく分からなかったので、文章を用意することにしましょう。


けどじゃあ、文学って何でしょう?どんな文章だったらいいんでしょう?そして、できあがった文学の使い道は?ヒゲとモミアゲの違いって何?

文学と、その価値について

文学フリマ(フリーマーケットの略です)というのは、フリマですので文学を売ったり買ったりするところです。合言葉は「私的なことがらをうまいことアレしよう!あわよくば銭の花を咲かせよう!」
つまり、文学とは商品であるわけですが、ところで昔、こんなことを言ったヒゲのおっさんがいました。

商品は、自然形態と価値形態という二重形態をもつ限りでのみ、商品として現われ、言い換えれば、商品という形態をとるのである。

説明しましょう。商品には、その商品の目的であるところの有用性(例::ヒゲそりはヒゲが剃れる)と商品の流通に用いられる値段(例::ヒゲは伸びるのでタダ)の2つが決まって、はじめて商品になります。役に立たない。あるいは、値段がつかないものは商品ではありません。


さて死体性病にとって死体性病の書くものは、なんかおもしろいなー、とかこんなアホみたいなこと考えてたんだなー、といった意味で、それなりに有用なものですが、それは皆様にとって価値があることとイコールではございません。自分のヒゲはカワイイけれど、他人のヒゲには興味がない。このようなすれちがいは、ままあることでしょう。
目にうつる すべてのものは コンテンツ と古い詩にありますが、コンテンツの価値は流通によって定まります(※ただし資本主義に限る)。流通するものに価値がある。というかもう、価値って流通するかどうかで決めましょう。よーし流通、キミに決めた!

以上から、文学とは流通するものである、という結論が出ました。どうしようこの結論。

手段のために目的を見失おう!という話

ところで性病さんは戦争になっても持って逃げれないものが好きです。でも、お金のほうがもーっと好きです。
とあるちょびヒゲのおっさんは、

人生には勇気と想像力と、ほんのちょっとのお金があればいい。

と言ったそうですが、このおっさんは浴びるほどお金を稼いでいます。
うらやましい。俺かて金が欲しい欲しい。お金の匂いがしそうだから文学フリマに行きたい。これが私の目的です。
上記の目的の為に文学を用意し、文学フリマにてお届けする予定なのですが、その文学にどれだけの価値があるのでしょう?性病さんよくわかりません。

こういうときこそヒゲのおっさんの知恵を借りましょう。

貨幣は、絶えず商品の流通場所で商品に取って代わり、それによって貨幣自身の出発点から遠ざかることにより、諸商品を絶えず流通部面から遠ざける。それゆえ、貨幣の運動は商品流通の表現にすぎないにもかかわらず、逆に商品流通が貨幣の運動の結果にすぎないものとして現われるのである

うん。わかんねえ。何を言ってるのかさっぱりわからんが、恐ろしいものの片鱗のような気がします。わからないなりに要約すると、「お金ばっかり流通すると商品が流通してるような気がするけど、そんなことはなかったぜ」ということでしょうか。


それでは私は、お金を愛するが故に、お金を使わず、商品のみを流通せしめてみせましょう。


さてこちらに、既に出来上がった結論、「文学は流通するもの」がございます。
この2つを混ぜ合わせたら、ほーらできあがり。
資本主義経済に逆立ちで土下座する、折本主義経済をここに提唱いたします。

折本主義経済は、紙の上にインクが印字されたものを「価値があります!」と言い張って交換することで、自分を切り売りしながら自己満足を最大化する、理想的な経済体制です。
名義上、折本は文学と呼称しますが、あなたが交換に値すると考える文章であれば、何であってもかまいません。

告知アゲイン

ということで、私、死体性病は文学フリマにて、折本主義経済に則った文学を行います。
具体的に言えば、物々交換専門で小説を頒布します。

タイトルは『空いっぱいの肌』。手のひらを太陽に透かしてみたり、おじいちゃんをドライアイスで冷やしてみたりする小説になる予定です。
http://8p.dip.jp/
上記のサービスを利用した、8P折本の形式となります。だから大丈夫。まだ書き終わってないけど大丈夫。皆様も安心して適当な文章を折本化してお持ちください。


死体性病は「BWN」のブース、あるいはその近辺にて死んだ目をしてぶらぶらしている予定です。ちなみにヒゲを伸ばすつもりでおります。ヒゲが生え揃うのが先か、小説が完成するのが先か。文学フリマにいらっしゃる予定の方はご注目ください。


資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)