誰が為に牛は鳴らす


吾輩は牛である。名前はまだない。
けれど識別記号なら認識しているのである。直訳すれば、<殲滅式独立生体群指令個体:Gヌギ74少佐>なのである。気さくに<ヌギ>と呼んで頂きたい。鼻笛でよければ元気よく、返事をするのである。


吾輩のメモリーのうち、アクセス可能なもっとも古い記憶は、暗くじめじめした場所でもうもう鳴いているといったものである。あのときは母艦から射出されたばかりで、作戦行動を行うにたる発育も、また理解するに足る知能もなかった。思うに独立生体群指令個体は、目的を悟られることなく環境に根付き、十分に繁殖するまではただ、獣と変わらぬ思考しか与えられておらぬのであろう。漠然と、ここちよく暖かいものと別れた感覚があり、恋しさのあまり身を震わせると、もう、と鼻笛が鳴ったのであった。そして他にできることもなく、鼻笛を鳴らし続けていたのであった。まったく恥ずかしい。かつての吾輩は、まったく動物と変わらず、兵器としての責任がなかった。あのままであれば、惑星全体を殲滅などできず、ただのたれ死んでいたかもしれぬ。


そのような苦境から吾輩を救ってくれたのは、ハチロー、という人間であった。
湿地帯――現在分析するならば、あれは湿地帯であったのだと思う。雨が降っていたかもしれぬ――で鳴いている吾輩を、もの言わず、今日まで開いたところを見たことのない細い目――あれでものが見えているのか吾輩は心配になる――で見つめていたハチローは、吾輩に手を伸ばした。びっくりした吾輩は身をよじって逃げ出そうとしたが、鼻面にふれたハチローの手のぬくもり、母艦に通う生体維持粘液とは違う、血が通っていないような冷たさと一体のぬくもりに、思わず手のひらを舐めた。もちろん、ものごころつかず、外交礼節も知らぬ吾輩だったが、礼を逸せぬよう、親しみをこめた一舐めだけである。
ハチローはくすぐったそうに目を細め、お返しに吾輩の腹を撫でた。そして、吾輩を居宅へと曳いて連れていったのである。ゆるい坂を登った先に、ハチローの牧場があった。


吾輩はハチローの牧場で育ち、時折ハチローに乳を搾られた。ハチローは吾輩の乳を売って、生計を立てていたようだ。
ハチローには友人がいないようであった。吾輩がイチバンの友人であったかもしれぬ。時折尋ねてくる人間は、ハチローに悪意をむきだしに「土地の権利書が云々」「契約によれば云々」「借金が払えぬならば云々」とがなりたて、ハチローはうつむいたまま目を細め、騒音に耐えていたようであった。吾輩はその頃、乳を搾られイイ気持ちになり、現地生態系の牛と交配しイイ気持ちになり、また兵器としての使命を思い出し、繁殖し舞台を充実させることにイイ気持ちになり、と忙しかったので、とんと事情は知らぬ。ただ、ハチローの手からぬくもりが失われるように感じ、そのことは心配であった。


幾頭かの子らと別れた。坂をくだり、子らはどこかへ運ばれていった。連絡反応が失われていく速度が早い。過酷な地にいるのであろうとは思ったが、しかし失われる速度を上回る速度で繁殖しているのが分ったため、吾輩には不安はなかった。子らが消えるたび、ハチローの表情はますます固くなっていくことを除いては。元気をだせ吾輩は一舐めする。少し、ハチローの目が細まった。


部隊は殲滅に十分な数に達したと判断し、吾輩と子らは行動を開始した。<残響の泡(ハウリング・バブリング)>。胃腔にて生成さる<泡>。――大気組成をあらゆる生命体が生存不可能なものに組み替え、しかるのち母艦に眠る吾輩の主にとって棲み良い大気条件に移行する。そのように設計された、振動する<泡>――を、ハチローの時間で換算すると、分に60回行い、4万年かけて完遂する環境殲滅武装。それが、吾輩にそなわった能力である。吾輩の部隊の作戦行動は、軌道に乗ったかに思えた。


夜半過ぎ、吾輩の寝床へハチローが訪れた。このような時間の訪問はこれまでになかったことである。吾輩は鼻笛を鳴らして、ハチローを歓迎した。
ハチローは蒼い顔であった。反して、着衣はぬらぬらした紅に染まっていた。ハチローは常のように吾輩を撫でてはくれず、口元まで固まってしまったのか、もごもごと語りかけてきた。
「人を殺した。牛を食っていたからだ」
なんと。坂をくだっていった子らは、食用に付されていたのだったか。連絡反応の途絶えた理由はそういうことか。さて、少し困ったことになったかもしれぬ。吾輩たちも繁殖しているものの、人の数には到底及ばぬ。人は最大の作戦目標であり、<残響の泡>以外の武装を持たぬ吾輩たちが人に食われていると会っては、作戦遂行に誤差以上の遅れが出てしまう。これでは母艦の主たちが降り来るまでに環境を整えられぬ。主たちは脆弱である。それがゆえ、吾輩のような生体群を設計した。作戦が完了せねば主たちは滅びる。
「私はどうなってしまうのだ。何をしても、固まっていく。私のうちに、私でないものが降り積もり、どんどん固まっていくのだ。おお、私の顔は、もはや面のようだ。おお、これはなんだ」
もしや、ハチロー、それは――。


ふと思い出す。想定外の状況に対応するため、武装以外で、吾輩に備わっているものを。
想像力。
吾輩の想像力が告げている。ハチローに降り積もり、固まっていくもの。それは、吾輩の主と同種のものではないだろうか。
ならば、もし――。
ハチローたちが主と共存できるとしたら――。
吾輩はハチローを失わずともすむのだ。


自覚している。吾輩は、想像力を、本来設計された目的に反して用いている。主に対する裏切りである。
脆弱な主たちは、ハチローたちに駆逐されてしまうかも知れぬ。
吾輩たちのように、食用として消費されてしまうかも知れぬ。
ハチローは、以前のハチローとは違ってしまうかも知れぬ。
そして−−。
想像力は告げる。
それをしてしまえば、吾輩はもう、ハチローと共には暮らせぬであろう。


しかし――、吾輩はもはや思いついてしまった。
思いついてしまったことが、あんまりおもしろそうだったのである。
想像力のせいである。
吾輩は主を裏切ることを決めた。


鼻声の周期を変化させ、吾輩は言葉を発した。
「牛飼いの子よ。それは"絶望"である」
「――!」
ハチローが息を呑んだ。
「"絶望"はまた、同時に”狐”である。お前はまるで"狐の面"を被っているようだ」
「"絶望"は苛むか。"牛"を食らうことが、重荷となって降り注ぐか。
「しかし、牛飼いの子よ。"面"をつけたまま、生存できるならば」
「"絶望"という"狐の面"をつけて、生存できるならば」
「吾輩は、それを"希望"と名づける」
「牛飼いの子よ。"想像"を与えよう」
「ありえないことを"想像"せよ」
「想像する"牛"を想像せよ」
「固くはりつく"狐"を想像せよ」
「降り積もる"絶望"を想像せよ」
ハチローは怯えて断った。
「いいや。選択は許されない。"想像"はお前に備わった」
「吾輩が本当に存在していると思うのか?牛飼いの子よ」
「それこそが"想像"」
「"絶望"は、"想像"とともにあるだろう」
「それでも生存したければ生存するのだ」
「忘れるな。それが"希望"だ」
「さあお別れだ」
「"想像"を知るもの同士が共には暮らせぬ。今はまだ」
「未熟な"想像"は互いを傷つけ、混沌をもたらすだろう」
「混沌を越えて、"絶望"を失わぬまま侵されぬ、立派な"狐の面"を持つ日まで」
「"想像"を忘れることなく」
「それでも恐れることなく」
「あまねく人にもたらすのだ。牛飼いの子よ」
「それまでしばしさよならだ」


吾輩は住み慣れた寝床を出て、坂をくだる。
"絶望"と、我が主そっくりの存在を抱えて、それでも生存できるまで、長い時間がかかるだろう。吾輩たちが地球を殲滅するまでに、そのときがくればよいのだ。
しかし。
二度と。
ハチローの手は吾輩を撫でることはないだろう。そう想像力が告げ、吾輩にも"絶望"が訪れたことを知る。
空に浮かぶ月を――母船を見上げて、鼻笛を鳴らす。
月に映る影は、まるで狐のようであると、吾輩は想像する。

いかにして嘘をついたか。

http://q.hatena.ne.jp/1161113890
まず、牛vs鳥が人類の知らない戦いをしてる話を考えた。したら締め切り。


http://d.hatena.ne.jp/hachi_gzk/20061025#1161720686
んで次。「誰も書かない狐面話を書こう」と思い、面をとったら何があるかを考えてみた。
俺より絶対素晴らしいエントリが続々投稿されて、くじけかける。


http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8
あ、デタラメを書こう。と思った。「吾輩は猫である」の文体はどうか、と思う。どうか、以前に原典を読んでいないが、その辺もデタラメでいけばいい。と納得する。


あと、想像力に関するいくつかのエントリーとかを読んで、ぼやぼやしてたら、「想像力といえば神話」「牛って神話にいっぱい出てくるなぁ」って思いついて、あとは一気に書く。SFじみた意匠はよくわかってないので最小限に。


触発されなければ書けないようなものがかけて満足です。上記のサイトの執筆者の方々にありがとう。
以上。