破壊せよ、と彼女は言う。タガログ語か何かで。

曇天。
無風。
湿る八畳。



破壊せよ、と彼女は言う。
いや、違う。何だ?何語だ?タガログ語か何かか?俺はミリーナがどこの国から来たのかも知らない。


「ねえ、チューして」と彼女は言う。
いい女だ。この街に、このクソッたれた街にいるのが信じらんねえ。
白状しよう。俺はこの女にイカれちまってる。駅前の小さなネオン街。ダチの経営する密入国した女の働くスナックで会ったあの時から。
一目でぞっこんになって、その晩から愛しあった。次の日から一緒に暮らし始めた。


「飲もう。今日はとことん飲み明かそう」と彼女は言う。
経営者のダチには拝み倒した。業者から仕入れてまだ初日。一円も稼いでいないミリーナとヤッちまったんだ。
頭の左上。浮かんだそろばんを弾くように考え込んで、でっかい貸しだとダチは笑った。他で儲け話があるらしい。肩という肩を揉みまくって、スキップしながら家に帰り、ミリーナと2人乾杯した。よく分かっていないようだったけど。


「それがあなたの いいト・コ・ロ」と彼女は言う。
ミリーナは日本語がまったく分からないらしい。どこの国から来たのかも分からない。
言葉が通じなくても俺達は毎晩話した。下手くそな落書きや表情や、体で繋がることで話した。
俺が仕事に出ている間、ミリーナはTVから少しずつ言葉を覚えた。
それはあまりにゆっくりとした、愛にまみれた1年だった。


「24時間闘えますか」と彼女は言う。
俺が何の仕事をしているか、ミリーナには教えていなかった。
もう少し日本語を覚えてから、でかいヤマが片付いてから教えようと思っていた。
家でもできる仕事だが、新婚気分でお出かけのキスいただくために毎日、事務所まで通勤した。


「どうする?愛する!」と彼女は言う。
獣のように俺ら愛しあった。むさぼりあってくたくたになってイッた。暴れ狂う行為とは裏腹。心に温かいものが芽生えてった。
そうして、物語がドライブする。
俺は物語を、最悪の、不幸の、地獄の、あらゆるものの、どん底に叩き落す。けれど心だけに、安らかな救いを与える。
そうして、物語が完成する。
スクリーミング、ラブ。イン、ワールドセントラル。


「職場に恵まれなかったらオー人事オー人事」と彼女は言う。
そう。俺は小説家だ。
感動のために、悪魔に魂を捧げた作家だ。二度と帰ってこないちょっとした青春。ノスタルジーと、もう終わった悲劇。それが金を金を金を金を産むんだ。
読者が流した涙は金になり、心を震わせて果実を落とす。
昔は夢見て書いてたかもしれねえが、今じゃこれが俺の職業だ。


「聞いてアロエリーナ。ちょっと言いにくいんだけど」と彼女は言う。
同棲を始めてちょうど1年。ケーキとチキンで祝う2人の記念日。
出版社から手紙が届いた。1つは俺宛て。もう1つはミリーナ宛て。
俺の方は、ドラマ化・映画化決定の知らせ。
彼女には、ピューリッツア賞受賞の通知だった。
そう、オマエも小説家だった。
ヘンリー・ミラーの再来と言われる、愛の遍歴を描く小説家だった。


俺は彼女の小説を読んだ。翻訳されていた小説を読んだ。
全ての財産をおきざりに、体1つで世界中を旅して、何人もの男の上を通り過ぎ、ラストは俺と暮らし始めて終わる。
まさに今、荒れ狂う嵐の中での、幸福。
俺には書けない小説だった。
金のために小説を描く俺は
「よく考えよう。お金は大事だろ!?」と言う。
愛のために小説を描くオマエは
「忘れないで。お金よりも大切なものがある」と言う。
どこか歯車がズレちまった。
それでも俺は俺は俺は俺はオマエを。


破壊せよ、と彼女は言う。タガログ語か何かなのか。
何を破壊するっつうんだ!2人の関係か。生活か。愛か。
いや。小説のことなのか?文学か。悲劇か。ノスタルジーか。


「さようなら」の言葉もなく。
言葉を交し合えないまま、ミリーナは家を出て行った。
同棲一年目の記念日は、同時に別れの日になった。
まだ残るオマエの痕跡と、2人過ごした日々の思い出と、手をつけられないままのケーキ。
俺は、破壊せよと繰り返した。
気づいていた。
破壊せよ、ではなく。
サランセヨ、と彼女は言った。


それからまた1年が過ぎ。
ドラマ化、映画化、重版に次ぐ重版。
働く必要のないだけの金と、傷跡のような愛を手に。
彼女という題材を料理するように、俺は小説を書きはじめた。
小説の中で彼女を愛するために。萌えー。